So-net無料ブログ作成
検索選択

キリスト教における正統と異端  ⑧ グノーシスの神話 その2 [シリーズで考える深い考察]

20090907_913323.jpg

グノーシス的キリスト教とは、趣味の悪いBL仕立てにした、パロディ漫画を読むようなものだ

とは昨日のわたくしの弁です。

考えてみれば、趣味がいいか悪いかは別問題として、「エヴァンゲリオン」ってキリスト教を素材にした、

極めてグノーシス的寓意あふれる漫画のような気がするのですが・・・・・。

エヴァンゲリオンってキリスト教のモチーフがたくさん出てくるでしょ?

だけど、本来の意味とは全く別のものです。

明確な相違点は「エヴァンゲリオン」自身がれっきとしたオリジナルだってことです。

これは大きな違いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日はオハナシを読んで、なんか難しいな、と思われたでしょ?

グノーシスって、徹頭徹尾、抽象的な概念でしか形成されてないんですよね。

本来、神話ってものは、もっと素朴で童話みたいに具体的なイメージを喚起する力っていうのが

あるはずなんですが、まったくそういうところがない。

ここんところがグノーシスの特徴でしょうか・・・・。

リクツっぽいんです。そして、ヘレニズム文化の影響を受け、ギリシャ哲学的でもあるところです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、ここから昨日の続き。

ソフィアの想念から単独で出現した、いわゆる低級な神である「ヤダルバオト」。

彼は一体なにをしようとしたのでしょう?

不完全な神、ヤダルバオトはあるとき、「天地創造」をしようと決心する。

しかしながら、ヤダルバオト自身が不完全であるので、到底完璧な世界は作り得なかった。

彼は、不完全な「物質」をもって宇宙というものを想像してしまう。

「物質」は不安定なもので、一定の期間、時間というものにそってしか存在することができない。

paradise_lost_19-thumb-250x317-172.jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あの、先日載せた、「アダムとイヴ」のお話を思い出してください。

なにか理不尽なこといっぱいあったでしょう?

なぜ、神は人を誘惑から断れないようにしたのか、とか。

なんで「命の木」と「智慧を知る木」を置いておいたのか、とか。

グノーシスはここで、ヤダルバオトを断罪しています。

なぜなら、ヤダルバオトが全知全能でなく、未熟な神だからこそ、このような間違いが多々起こるのだと。

なるほどぉ~、これも一理ありますね!

この世には理不尽なことが多すぎる。

努力したって報われないことだって多い。

このことは、どういうことなの?誰か私に説明してください!

となると、グノーシス信者はこういいますよ。

「世の中はキチっとした秩序なんてないから」

「この世は不完全で邪悪だ」

なんという逆転の発想!

この世は全知全能の神ではなく、未熟で不完全な神で作られ、

しかも、「時間」というものにとらわれた「物質」でできたものである。

この世というところは「不条理」な世界。

世の中のものすべてが「死にゆく」運命を背負っている。

・・・・・こういう考えって時にはものすごく「魅力的」なものに思えることってありませんか?

わたくしは、非常に魅力を感じますねぇ~。

みなさまにも「なんで?」と思われる理不尽なことってひとつやふたつぐらいおありでしょう?

over_heavenwar2.png

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そこで、グノーシスは次のように説くのです。

だから、「この世で成功や栄達を求めるのはムダなことだ」と。

で、次のセオリーがありまして、

とはいえ、この不条理な世界を生きる人間には、ヤダルバオトではなく、

本来の至高の神の一部である、光がその内部に潜んでいる。

至高の神はその自身の一部である、光の回収を望んでいる。

だから、人間はこの世に未練を残すべきでなく、速やかに物質からできている肉体から

その「光」を解放するべきなのである、と。

なるほど、グノーシスってよくできていると思いますよ。

わたくし理科系じゃないんで、いまだに「光」ってモノの定義がわからないんですけど。

物質なのか波動なのか?

古代の人ながら、センスのよさに脱帽です。

で、ここからグノーシスを信じる人々って二つに分かれるの。

「極端な禁欲主義に走る」

「やりたいことは手当たり次第にやる」

つまりはどちらも同じってことですよ。

世の中の価値観を軽んじているってことです。どう過ごしたって、ヤダルバオトの作ったこの世で

ヤダルバオトの作った戒律を守ったところで、

ヤダルバオトの約束してくれた来世なんてないんですから。

グノーシスの考えによれば、この世なんてみんな見せかけなんです。

早いこと、人間なんて絶滅して、この世から撤退したほうが至高の神がよろこぶところなんですよ。

dore.gif

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

じゃあ、って全員が全部集団自殺したほうがよっぽど喜ばしいことなんじゃ?

とここまで読んで思われた方も多くいることでしょうね。

理屈からいえばそういう結論になりますね。

ところがどっこい、そうはいきませぬ。

グノーシスは人間には三通りある、と定義しています。

①物質的人間

②心魂的人間

③霊的人間

 え・・・と、本来はですね、プネウマとかプシュケーとかサルクスとか小難しい名前がついているんですケド。

グノーシスって、こういう小難しい名称つけるのが得意なんですけど、

そういうことイチイチ拘泥していても、しょうがないので便宜上このように記しておきます。

①はですね、ぜ~んぶ物質でできている人間。だから死ねばそれで終わり。

③は・・・、体の中にというかその存在の中に至高神の一部である「光」がある人。

 この人は、死ねば肉体から光が解放され、至高神のもとへもどっていける。

②はね~、いくらその手の本を読んでもイマイチわからないんですけど、

 本来ならば物質的人間のように、死ねば終わりであの世の救済がないハズなんだけど、

 生き方次第では光となれる、というか救済の可能性がないでもない人。

・・・・とこのように分類されることができるんですワ。

しかしながら、sadafusa思いますに、その区別ってどうやって見定めるの?

それこそ死んでみなくちゃわからない、と思うんですが。

title_shinkyoku2.png

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

すでにこの世で産声をあげた瞬間からその人の運命が決まっているのなら、

「努力」することも、ムダですね。

ある意味、努力して報われなかったことも、「あの世に宝を積む」と思えばこそ、

人間、なんとか頑張れるもんなんですよ。

この教えには、希望の光っていうのが見えません。

こんな達観した考えは受け入れられない人が多いでしょう。

この世は「悪」で「呪われた場所」だなんて、いわれたら。

グノーシスの考えは悪魔的というより、終末的なんですねぇ。

徹頭徹尾、ペシミスティックな考えです。

さっきもいいましたように、極端な禁欲に走るか、放埓に生きるかに分かれるのですが、

それは、グノーシスの中にも多くの派がありますので、解釈に違いがあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

中世、オクシタニア、つまり南プロバンスに流行ったカタリ派などは

一説にはグノーシスの系統といわれます。

彼らは、カタリの意味するところ「清浄」な生き方を求めたグループでありまして、

禁欲を旨としたのです。

ぱっと見、正統なはずのカトリックが堕落していた当時、

妻帯は禁じられている僧がどうどうと愛人を囲っていたり、

権力や富を手に入れようと必死になっていたりしているのを見ると、

カタリ派の教えは善良な人々の目には、却って正しく魅力的に映ったのかもしれません。

しかしながら、難しいことはわからなくて入信する人々がたとえ多くても、

入信した人々が、ぱっと見にどんなに正しく愛のある生活をしていたとしても、

根本に「全知全能の神であるヤーヴェ」を全面否定している教えは

自らを正統なキリスト教会であると自らをもって任じているカトリックにとって、

赦しがたい教えであるには変わらないのです。

IMG_0003.jpg

たとえば、聖母の神性があるかないかで公会議で敗れ去って異端となったネストリウス派や

キリストの定義を「三位一体」であることに賛成しなくて、敗れ去ったアリウス派などとは

まったく、その本質が違うのですね。

アリウス派やネストリウス派などは、追放されただけですが、

根底にグノーシスの教えを戴いているカタリ派はなんとしても赦しがたい。

赦しておいてはこの世の秩序は乱れたものになってしまうでしょう。

ですから、ヴァチカンはアルビジョワ十字軍を差し向け、根絶やしにせざるを得なかったのです。


nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(1) 

nice! 5

コメント 2

yoku

カタリ派の人たちが最後に立てこもったピレネーの
モンセギュールの山(堀田善衛の「路上の人」に詳しい
に登りたいと思っているのですが、なかなか実現しません。

by yoku (2012-08-09 04:50) 

sadafusa

>月乃さま ため息の午後さま ぼんぼちぼちぼちさま nikiさま
  nice ありがとうございます。

>yokuさま nice & コメントありがとうございます!
  カタリ派の最後の籠城であるモンセギュールの話は
  有名ですね。
  
  堀田善衛の「路上の人」は知りませんでした。
  チェックして読むようにしますね^^
  情報ありがとうございます!! 

  
by sadafusa (2012-08-10 00:15) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この記事のトラックバックURL:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。