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孤独なたましい     出崎統の『ベルサイユのばら』2 [シリーズで考える深い考察]

前回の続きです.

物言わぬは腹ふくるる心地になるので、この際、書きたいことを全部書きます!

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さて。

後日、オスカルは最後の近衛隊の閲兵式のあと、

出口で馬を引いて待っていたアンドレに対してこういう。

「アンドレ、このあいだのことは別に怒っていない。しかし、記憶にも留めない」

精いっぱいの虚勢。

まざまざと頭の中ではあの出来事がフラッシュバックしているんですけどね。

男女の道に関して初心なオスカルには、あまりに刺激的な体験だったのでした。

急にアンドレが「男」に見えてくる。そしてちょっと恐れてもいる。

そして、武人の中の武人になろう、と心に決めた直後に、

相手がアンドレとはいえ、あんなふうに女々しく

人前で泣いてしまった自分が恥ずかしくて情けない。

アダルトチャイルドだった人は、こういう「恥ずかしい」という感情に

耐えられない。だれでも犯す失敗を、取り返しのつかない過失に思えて

必要以上に責めてしまう傾向にある。

そしてあの夜、アンドレがオスカルに「愛している」と告白したということは、

心理的に距離を置かれたと思っているオスカルのアンドレに対する認識を変えたんじゃないの?

確かにそうも言えますが、私は別なことを考えますね。

人って複雑で、「愛している」なんて言っても、

その言葉をいった本人が、本当にそう思っているかどうか分からない時があるものです。

アンドレが彼女をレイプしそうになったのも、

その場の雰囲気というか、勢いっていうのもあるのかもしれませんが、

好きだからという感情でやったとはいえないときだってあるでしょう?

反対に憎しみに駆られてレイプする、ってことも時にはあるかもしれない。

膠着したこのモヤモヤした関係を早く終わらせたい、終わりにしてしまいたい、という気持ちの

裏返しだったりすることもありますから。

オスカルは、アンドレが自分を好きだということを知っていながら、

それを無視して他の男に血道を上げていたことが赦せなくて報復したんじゃないか、とか。

アンドレはもうこんなダメな自分に愛想をつかして、

関係を終わりにしたいんだ、とか疑心暗鬼になっていったんじゃないかな。

また一方で、こうも考えられます。

オスカルはアンドレに抱きすくめられて、案外気持ちよかったんではないか。(笑)

一瞬にしろ、理性が吹っ飛んで、彼に体を任せてしまいたい衝動に駆られたのかも。

これはありえそう。だってこのふたりってカラダの相性もよさそうだもん。

しかし、そうするとオスカルはアンドレによって、本当の女になってしまって、

きっとさっき自分が目標にしていた「男街道」を突き進むことが出来ない。

女になるということは、今までの自分を否定することで、

さらに、常に誰かに支えてもらわなければ生きていけない人間になってしまうじゃないの。

とにかく、どんなときにも相反する理由がたくさんあるものなんですよ。

人間の気持ちは玉虫色だから。

こうまあ、いろいろと頭の中をグルグルといろんな思いがめぐっているはず。

総じて言えることは、この出来事によって

今までの二人の一応表面上だけでも良好ともいえる関係は壊れ、

何とも言えない緊張感が二人の間に横たわることになるのです。

つまり、これまでのように無条件でアンドレに甘えられる時代は終わっちゃったってこと。

悲しいねぇ。兄弟のように何でも腹を割って話せる唯一の人間だったのに…。

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そしてオスカルはお行儀がよくて品のよい近衛隊から、

あえてあらくればっかりの超がつくほど下品なフランス衛兵隊に移籍する。

原作では、王室の在り方にだんだん疑問を感じて、もっと庶民に近づきたいと思い、

衛兵隊に入ったみたいに描かれていますが、それはちょっときれいごと過ぎるような気がする。

フランス衛兵隊には、オスカルのように、エリートである士官学校出身者はほとんどおらず、

みな金のために入隊した乱暴者ばかり。

(原作では、アランは曲がりなりにも下級貴族の出で、士官学校出身ということにはなっていましたが、

アニメではどうなんかな?わかりません。)

なんだかみんな、読み書きすらできない、理屈をいってもわからない無教養な人間ばっかりのようです。

昔の獰猛なスイスの傭兵隊のようですね。

彼女は今の心の痛みを癒すには、こんな風に過酷な環境にわが身を置いて、

また新たな別の痛みを感じるしかない、と思っていたのかもしれない。

とにかく、忙しくして他のことを考える暇もないくらい働いたなら、

きっとこの苦しみから逃れられる…。

オスカルの抱えていた苦しみは何だろう。

フェルゼンへの失恋が一応原因みたいに描かれていますが、

それはいわば、表層的なものであって、単なるトリガーにすぎない。

根っこにはもっと奥深いものが横たわっていたはず。

どこか心にぽっかりと穴が開いているような、寂寞感。

どんなに頑張っても達成感を感じられない、虚無感…。

オスカルは今、非常に孤独を感じています。ですが、彼女は今のこんな自分が情けないと思う。

孤独を恐れるより、孤独に慣れてしまえばいいのだ、と。

私は最初からひとりで生きていた、と思えば辛くないはず。

しかし、オスカルは気づいていないね。

こんなに苦しいのは、アンドレのことが本当に好きだからなんだよ。

今まで愛してもらって当たり前、庇護してもらって当たり前、

その無償のやさしさにどっぷりつかって傲慢にふるまってきたけど、

ああいう風に自分が彼を拒絶した以上、どうできるだろう?

オスカルにとってフェルゼンは、いわば青春の夢。心の中のあこがれの具象なのです。

でも、本当はあまりに卑近すぎて気が付かないけど、アンドレのことを愛しているんだよね。

だけど、彼女は自己肯定力が弱くて、自分を女として存在することを自分で赦していないから、

どうしても男女の愛に進行するのを止揚してしまう。

…オスカル可哀そう。

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ですが、アンドレはオスカルが考えていたようなこととはまた別のことを考えています。

当然です。オスカルは一方的に被害妄想に陥っているだけだし。

アンドレは原作ではオスカルの父、ジャルジェ将軍に命じられて衛兵隊に入隊しますが、

アニメは自らの意志で、また自ら開拓したルートを経て入隊するのです。

アンドレは、オスカルと違って結構いろんな人脈を持っているし、

また、人の懐に入るすべを心得ていて、そういうパイプラインを作るのが上手い。

今度も、酒場で意気投合して仲良くなったアラン・ド・ソワソンの口利きによるものです。

アランは実質上、オスカルの赴任する衛兵隊で一番の猛者で、ナンバー1の位置にあります。

(ここがかなり原作とは違うところなのだけれど)

そして、フランス衛兵隊というところは、軍隊といえど、上官の命令が絶対というところではなく、

また別の、男の掟が幅を利かせているところでした。

そのドンがアランだったというわけです。

掟では、アランの命令が一番なのです。アランが諾といえば、いやでもやらなければならないし、

否といえば、それは否なのですよね。

彼は、また他の隊員のケンカやもめごとの調停役でもありまして、衛兵隊の影のフィクサーでもあります。

アンドレはそんなアランとはちょっとした特別な友情を育てることになりまして、

これから、何度となくアランに助けてもらうことになります。

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オスカルは生真面目な性格なので、赴任予定の一日前に衛兵隊に行って、

兵舎を視察に行く。

新しい将校の前にバカでかくてむさくるしい男どもがあたふたと整列する。

出崎さんは『あしたのジョー』の監督もしておられたそうで、

ここらへんにでてくる男どもは、はっきりいって少女漫画のレベルを超えています。

兵隊たちは、どこか丹下団平か力石徹みたいなマックスに凶悪そうな人相の

ごっついのばっかりで、しかもみんな40がらみみたいなやさぐれたのばっかり。(笑)

もう、オスカルもかなり長身なのでしょうけど、

彼らの中にいるとあまりに華奢でほっそりしすぎていて

どうしたって、男じゃないな、っていうのがビジュアルからわかってしまう。

こんな兵隊ヤクザみたいなところにきて大丈夫か?

ここにいる男たちって、他に行くところもなかったんだろうけど、

暴れたくて力を持て余しているようなそんな男たちです。

…とみている私のほうが不安になってくるのですが、

オスカルも度胸が据わっているというか、気丈ですね。

しかし、居並ぶ男たちの顔をひとりひとり確認していると、

思ってもいなかった男の顔を見てしまいます。

それはアンドレ。

オスカルは一瞬動揺して、目が泳いでしまいますが、

さすがに軍人、瞬時に冷静さを取り繕い、その場を去ります。

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オスカルは後で司令官室へアンドレを呼んで、責めます。

「どういうことだ、アンドレ? 私はもう供はするな、といったはずだぞ!」

「だから供ではないよ、オスカル。つてを頼って入隊しただけだ」

でも、最後にこういうのです。

「どんなことがあろうが、お前に何と思われようが、お前を守れるのは俺だけだ!」

なんという自信。なんという深い志。

ま、ひとつ間違うとストーカー行為?(笑)

おお!かっこいい。男らしい~。思わずオスカルも惚れ直してしまいますよね。

このときから、オスカルのアンドレへの気持ちも少しずつ外に向かって開放されていくような気がします。

とはいえ、人間の心は重層的で複雑なものですから、

これから男の中の男道へ進もうとするオスカルを阻むのも実際アンドレなんで

わずらわしさもかなり感じているのも事実。

そして、オスカルに反撃させる暇を与えず、軍隊式の敬礼をサラッと返して

「帰ります、隊長!」って去っていくんですよ。

この絶妙な間の取り加減。上手いです!

さすがのオスカルもアンドレが去って行ったあとで「勝手にしろ」と悪態をつくしかないんですよね。

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フランス衛兵隊

今までの近衛隊は、いいところのおぼっちゃまばっかりのところで、

すなわち、皆さま貴族の子息で、教育もあり、容姿端麗、眉目秀麗な方ばかり。

姫って実は、近衛隊に入るには2センチ身長が足りないんですけど、

そこは、ま、特例として認められたんじゃないかな?

だからね、部下も姫が女だから、ってことにあんまりこだわっていなかったんですよね。

皆さま、すごくジェントルマン。

ジャルジェ将軍のご令嬢で、ものすごくよくできる人みたいだよ、

おお、そうか~。さすが将軍の娘だけあって、女丈夫だな~ってな感じで。

実際、オスカルが近衛をやめるときも、ジェローデルをはじめ部下五人が彼女を

慰留しようとしていたし。みんないい人たち。

一転して、こんどはヘタにふるまったらレイプどころか、命まで危なさそうな衛兵隊。

副官のダグー大佐も内心「こんな上品できれいなお姉ちゃんのくるところじゃないのにな~」

とひやひやしていたことでしょう。

フランス衛兵隊っていったいどんな組織なんでしょうね?

ちょっとググってみたんだけど、よくわからない。

でも、原作を読んでいると、解説に La Garde Franceise とあり、

やはり、陸軍に所属している王宮を守護する一部隊なんだそうですね。

ベルサイユ駐屯所の部隊長っていうのが、オスカルの役職みたいです。

王宮のすぐそばにあったみたい。

だけど、なんかアニメ見ている限りにおいては、かなりベルサイユのオスカルの屋敷から

遠い感じがするんだけど? よくわからない。

本当だったら、大佐クラスになると、本当にエライので、

兵卒あたりが大佐殿なんかと直接口なんかきけないです。

そんなことしたら、軍曹あたりが、ガーンと銃で

「きさま、何様のつもりか!」って半殺しにされるくらいエライ。

さらにエライ准将のオスカルが、こんな兵卒に直接かかわっているはずもないんだけど。

だって、大佐の下には、中佐、少佐(これぐらいでもかなりエラい)

大尉、中尉、少尉(士官学校出身は少尉からスタート)あとは、軍曹とかまあ、下位の将校なんか

なんぼでもいるはずだしね。

ま、そういうこと考えてると先が進めなくなるから、先行きましょう。

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今の感覚でいえば、マグロ漁船とか、ダムの工事現場とか、なんかそんな感じ?

正式な初出勤の日、まあある程度予測できたことでしたが、

オスカルは先ほどもいったように准将というものすご~く高い身分の将校であるにもかかわらず、

B中隊全員に閲兵式をボイコットされてしまう。

「いくら准将かなんか知らんが、貴族の女の命令なんか聞けるかよ」

って感じでしょうか?

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オスカルはそれでもめげません。

ダグー大佐と一緒に、兵舎に行き、ドアを開けようとすると、

いきなりナイフが自分の顔の真横に飛んで、ドアの枠の柱に突き刺さります。

思わず、冷や汗を流すオスカル。

実は、隊員たちがドアにダーツの的を張って

短刀を投げて遊んでいたところだったのです。

投げていた凶暴な面相の隊員がシレっといいます。

「いけねぇや、隊長さん。入る時にはノックをしてもらわなきゃあ」

オスカルはその言葉に対して、柱に刺さった短刀を抜き取りながら近づき、

ヤクザの姐さん顔負けのドスの効いた迫力満点の声で応酬する。

「ドアをノックしろだと? そういう言葉はな、礼儀をわきまえているもののいうことだ!

閲兵式にも出て来ないで礼儀をわきまえているとは私には思えん!」

とその短刀を大男のズボンのバックルの間にグサッと刺し込みます。

…いきなりなにすんねん、この女?

大男、顔色が変わってひえっ~みたいな感じに。

オスカル様、男前すぎます!

「さあ!みんな! 服装を整えて練兵場へ来い! 閲兵式をやる!」

ですが、今までのやりとりをベッドの中でかったるそうに寝そべりながら聞いていたアランが

初めて口を利く。

「みんなイヤだっていってるんですよ。…近衛に戻っちゃいかがですか? ここには女隊長の命令を

聴くやつなんざいませんぜ?」

それを聞いて、アランのほうにキッと睨んだ姫のお顔が美しすぎ。

怒ってもきれいなのは、岩下志麻とヴィヴィアン・リーぐらいだと今まで思ってきましたが、

姫もその中に入れておきたいと思います。

「言いたいことがあるなら、ベッドから出て堂々と言え!ここは病院ではないぞ!」

「おっとこいつは失礼…。それで、ここは特に荒っぽいのが売り物のB中隊だ。

ケガさせちゃいけないからって、みんながね…」

アランの嫌味をふふんと受け流して姫はニヤリと笑いながら言う。

「断っておくが、わたしも荒っぽいのが嫌いじゃない。どのくらい諸君が荒っぽいのか見たいもんだな」

ちょっと見直したように目を見張るアラン。

ひとりの隊員がいきり立って叫ぶ。

「おう!おもしれー!みせてやろうじゃないか!」

「よし! じゃあ、話は決まりだ!腕に自信のあるものは練兵場に来い!銃でも剣でも構わんぞ!」

絶対に肉弾戦に持ち込みたくないオスカル。(笑)

しかし技には自信があります。上手いことやったな、と思います。

練兵場で隊員に囲まれるオスカル。

「いいか!私が勝てば閲兵式を行う! もし、私が負けたら、今すぐ隊を去る!」

と宣誓するオスカル。女といえど、軍人です。さすが。

そしてひとりのあらくれと戦いますが、あっけなく勝負がつく。姫の勝ち。

しかし、負けた男はオスカルの背後からすきをついて肉弾戦に持ち込もうと襲い掛かりますが、

オスカルの持っていた剣の鞘で急所を突かれ、どっと倒れる。

それを見た隊員たちは一気に殺気立ち、

みんなそれぞれに剣を抜いてオスカルに飛びかかろうとする。

しかし、アランの鶴の一声。

「おい、みんなやめろ! 約束は約束だ!閲兵式はやってやろうじゃないか。

ただしな隊長さん、みんながあんたを許したんだと思いあがっちゃ困る」

「わかっている」

「俺たちは、貴族やまして王宮を守るために軍隊に入ったんじゃねぇ。はっきりいって給料のためよ!

喰うためさ!そこんとこよくわきまえておいてくれ」

話のラストが閲兵式の場面。空が夕焼けに染まっています。

つまり、朝いちばんに閲兵式をやろうとして、邪魔されて、説得して、決闘して、

一日がかりだったということです。

ま、フランス衛兵隊一番の猛者でありボスであるアランは

手下と新しく赴任してきた貴族で鼻っ柱の強い女隊長を手合わせさせて、

その実力を検分し、一応「合格」としたのでした。あくまでも軍人としての資質だけだけどね。

はぁ、衛兵隊員にオスカルの全人格を認められる日は遠い…。

はぁ~、ご苦労さんですね~。


出崎統の『ベルサイユのばら』 イントロダクション [シリーズで考える深い考察]

まさにタイトル通り、はじめてアニメの『ベルサイユのばら』をはじめから最後まで

通して、一気に見ました。

去年からNHKのBSの水曜日に放映していたのをコツコツと貯め撮りしていたのです。

田島令子さんのオスカルの声が本当に素敵です!

フェミニンなのに、クール。

激高している時でも、声高に怒鳴るのでなく、自分の感情を制御して静かに話す。

凛々しいけれど、非常に上品な色気を醸し出しています。

まず、そこが非常に秀逸です!

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ということで、

感想は一言でいいますと「すご~~~い!」

原作をはるかに凌駕している!

いや、原作もすごくいいんですけどね、

これが、今から40年ぐらい昔に描かれていたってことが信じられないくらい。

そのくらい、このオスカル・フランソワっていう男装の麗人は傑出したキャラクターだと思います。

ですが、アニメはもっともっと感動しました!

なんでこんなに感動したんだろう?

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感動ついでに、ちょっとアニばらと原作の相違点を含めて、感想を書いていきたい思います。

ただ、今、原作を改めて読み返してみると、ちょっとな?と思うこともある。

① ちょっと百合っぽい。

② アンドレのキャラクターが弱く、オスカルの恋人になっていく過程に不自然さを感じる。

③ オスカルがわりとイデオロギーに固まった考え方をしていて、違和感を感じる。

④ ポエム的なセリフが多くて、恥ずかしい。

百合っぽいっていうのは、まぁ、読むのが女の子たち、っていうのを前提にしているからかな?

やっぱり昔のティーンの女の子にはいきなりマッチョな男の人との恋愛ってハードすぎて

ちょっと引くんじゃないかなと。

だから、こういう男装の麗人を配して疑似恋愛に持っていく、っていうのはわかるような気がする。

ロザリーとオスカルのやりとりって、

まさに読者がロザリーになってオスカル様と恋愛気分に浸っているような、そんな感じ。

そういう時のオスカルのジェンダーってちょっとなぁ~。なんかマッチョな気がして

私的にはちょっと…。

もしかしてオスカルって本当は男なんじゃない?と読んでいて心配になってきたりして。笑

かといって、アンドレといい仲になると、こんどは急にべた~っと女になってしまうわけで、

そこらへんが滑らかじゃないんだねぇ。

漫画の連載って、最初から最初まで全部書き上げて、それを推敲していくもんじゃないから

小説のように緻密なプロットがあるわけじゃない。

それに、読者の反応をうかがいながら作品を進めていくだろうから、

途中で変更されることも多々あるのだろうと思うんですね。

だから、アンドレは最初は本当にただの脇役に過ぎなかった。

あんまりイケメンに描かれていたわけでもなさそうだしね。

でも、黒い騎士になって彼が髪を切り、片目を失明したあたりで

急にかっこよくなるんだよね。

で、どういうわけか、オスカルの恋人にまで昇格してしまうんだな。

そこらへんがなんかな、読んでいてオスカルも胸を患って余命があまりないことを悟り、

自分の失態で彼の眼を失明させたのの罪悪感から、

せめて罪滅ぼしに彼の自分への恋心を成就させてやりたくて

そういう関係になってしまったんじゃないか?

みたいなお手軽感を覚えてしまう恋なのでした。

あと、池田理代子のネームって映画的というより、

やっぱり演劇的なんだよえ。だから宝塚でも上演されているんだし。

それに、宝塚のセリフってほとんど原作のネームを使ってるじゃん?

そういうのがいいと思う人は、たくさんいると思うけど、

スタイリッシュでキレのある映画のほうが好きな私は、

読んでいてかなりクドい、と感じて辟易するときもあるんだね。

もっと、絵でわからせろよ、みたいな?

とにかく多弁というか饒舌だよね。

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あと、オスカルの世の中の見方ってかなり理想っぽいっていうか。

特権階級である自分を責めすぎるように思える。

この間、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んでいたとき、

主人公の親友であるサン・ルー侯爵がまさに、オスカルと同じ理想を掲げていて

岩波の解説には「上流貴族は苦労知らずゆえ、極端な社会主義論者に走る傾向がある」と

書かれてあった。

そしてまぁ、今でこそ民度も上がり、教育もそれなりに普及してきましたので、

フツーの市民が作った政府でも秩序ある世の中を形成して、市民は安穏と暮らすことが出来ます。

しかし過去に民度の低い時代というのは、確かに存在していたのですね。

理屈が通らない世の中です。平気で人殺しするとか、盗むとか、強姦するとか。

そういうのが、当たり前にまかり通る世の中って人々が安心して利益を生み出せない社会です。

ですから、秩序のある世の中を形成するために、王政が必要だった時代だってあったのです。

じゃあ、ベルばらの時代はどうだったのか?

革命後の恐怖政治を鑑みると、ちょっと時期尚早?

国王というのは、他国に侵略されず、自国を守るという義務もあるわけだし。

やはりね、「貴族」や「王族」は贅沢三昧するためだけに存在するわけじゃないんですよ。

また貴族は、「バルバロイ=戦う人」の末裔でありまして、

自分の領民が危機に陥ったときは、命を懸けて戦う矜持がある、っていうのが前提でした。

貴族は死ぬことを恐れてはいけない。

いわゆるノブリス・オブリジェですかね。

あながち、『王権神授説』っていうのもバカにしたもんじゃないんですよ。

ですから、原作のオスカルが「貴族とは恥ずかしいものだな」っていうのも

ちょっと一方的で浅いものの見方かなと。まあ、気持ちはわかるけど。

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まあ、フランス革命もそのまま、すんなりと成功して進んでいったわけでもなく、

その後、フランスの国力を盛り返すべく、強力な求心力を求めて、ナポレオンの帝政になり、

王政復古、また第二帝政、第三共和政と目まぐるしく変遷を続けていったのです。

フランスは本当にあの革命が成功していたのか、と考えるとちょっと疑問だったりします。

だから、どうしてオスカルが貴族で王室を守る立場の軍人から

革命のほうに傾倒していくのか、っていうのは原作から読むと、

世間知らずの理想主義者だったから、だと思うし、

アニメを見ている限りでは、やはり心情的に平民出身のアンドレに入れ込んでいるから、

自分も同列の人間になりたい、と思っていたのか。

イデオロギーとして理解している、というより、もっと情に絡んだ思いからのような気もしますね。

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どうでもいい話が長く続きましたね~。

アニメでした、そうアニメの話に戻りましょう。

序盤のほうをみている時分にははっきりいって

「なんかなぁ~。茶碗の中の嵐だよな~、こんなのつまらな~い」と思いながら見てたんですよ。

アニメのオスカルってこのとき、なんだか、顔も昔のマンガ風でダサいんですよね。

女版『巨人の星』みたいなもっさりした感じで。あんまり魅力感じなかった。

で、あ~、やっぱり昔見て良かった感じたこの作品も自分が大人になって改めて見てみると

感性が変わってしまうもんなんだね、と思っていたのです。

デュ・バリー夫人とアントワネットの女の闘いなんか全然面白くなかったんですもん。

それにね、オスカルって正論ばっかり振りかざして怒ってばっかりいるんだもん。

初回にジャルジェ将軍の話を立ち聞きしているんですけど、

それが、大雨の中、わざわざ屋敷の二階の桟をつたって聞いているのです。

まるで忍者かスパイのようだ!

思わず大笑いしてしまいました。

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ですが、全体の印象が19話から突然変わるのです!

そこから絵の雰囲気とか話の作り方が「あれ?」っていうくらい変わっちゃっう。

一気に登場人物のプロポーションが変わって大人っぽい印象なのですねぇ。

オスカルもすっごく大人っぽく、スレンダーになります。

そして凛々しいけれど、とてもフェミニン。クール・ビューティなのです。

原作のオスカルって、ともすれば行き過ぎなくらい、

男っぽいというか男以上にマッチョな表情していて

本当にこの人女なん?って違和感を覚えることが非常に多かった。

しかし、そんなオスカルに対してそれ以上に

周りの男性が肩幅が広く、胸が厚くたくましく描かれています。

こんな人たちに囲まれているとやはり、女性なんだな、って

ビジュアルから納得できてしまいます。

なんだろね、今の女優さんだったら、アナ・ムナグリスとかレベッカ・ホールみたいな感じかな。

決して百合のような雰囲気には持っていきたくない、監督の意志が感じられます。

表情もアンニュイな表情に変わりました。

特に目が。潤んで憂いがあるんです。そして、回を追うごとにオスカルが美しくなっていく。

見ていてドキドキするほどです。

あと、ひとつひとつのしぐさとか、ポーズが決まっていて、優雅さを感じさせましたね。

原作を下敷きにして、それから熟考を重ねたんだろうと思います。

オスカルが練兵場を高いヒールのついた長靴(ちょうか)で歩いてくるシーンなんて

美しすぎて何度巻き戻してみたことか! 笑

これ、途中で総監督が変わったせいなのだそうです。

ちらっと名前は聞いたことがあったんですが出崎統と言う方です。

キャラクター・デザインの担当の方は変わっていません。

ですが、長浜監督から出崎監督に代わっただけで、作品は全く別物になりました。

単なる少女漫画から、もっと広い視点の群像劇になったのです。

彼は、別名『原作クラッシャー』と言われるそうです。

つまり、話を換骨堕胎してしまって、別の意味を持たせる話に作り変えてしまう名人らしいのです。

でも、このアニメを見ている限りにおいていえば、それが偶然かどうか知りませんが、

非常にいい方向に作品が向上していると思えたんです。

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池田理代子さんという作家は、ともすると主要人物以外の脇役なんかを

話を進行させるために結構ぞんざいに扱ってしまう、という雑さが目立つのだけれど、

出崎監督はそういう雑に描かれがちな端々にいたる人にまで、

目を配って意味をもたらしているように思える。

オスカルとアンドレの恋愛が美しく描かれているのは当たり前ですが、

だからといって、名もない人たちだって

そういうふうにつましいながらも美しい恋愛を経験しているはずだし、

やはり愛する人と死別したりしたら、すごく悲しい。

その感情はみな同じはず。

そういうところが、非常に丁寧に描かれていました。

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さらに、このアニばらの秀逸なところは、出て来る登場人物、それぞれの細かい心理描写です。

特筆できるのがアンドレ!

アンドレってマンガ読んでいると、あまりにも都合よく描かれて過ぎていて

とにかく「オスカル、マンセー!」のオンパレードで

オスカル、綺麗、オスカル素晴らしい、オスカル、愛している、

としか言わない太鼓持ちみたいな、

あんまり頭良くない人(と言ったら言い過ぎか)な人みたいに見えるんですわ。

実はフェルゼンもそうなんだけど、このアンドレの人格のどこに

オスカルが惹かれたのか、よくわからない。

読者を納得させてくれるような、エピソードがあんまりないんですよ。

強いて言えば、オスカルの頼みはすべて叶えようとしているみたいな?

でも、そんな全許容型の人間って総じて魅力がないものなのですよねぇ?

人間ってたやすく得られないものにこそ、執着するものだし。

だけど、アニばらのアンドレはね、なかなかしたたかで、すごく頭の切れる人間に描かれている。

アニメをよく観察していると、フェルゼンに恋して自分に振り向こうとしないオスカルに対して

男の嫉妬からか、密かに捻りの効いた意地悪をしているところもあるしね。

原作には全く描かれていないし、アニメにはちょっとしたほのめかししかないけれど、

アンドレには二面性がある。例えば、プルーストの「失われた時を求めて」に出て来る

サン・ルーのような。

サン・ルーは表面だけを見ると、美しくて、清潔で、高貴でかつ、健康な精神の持ち主で

って描かれているけど、実はゲイであることを隠して、密かにほの暗い欲望を

ほの暗い方法で満たしている。

暗い情熱があるんですよ、実はアンドレにも。

彼はオスカルがつかみ切れていない、彼自身の世界がある。

そういう大人のほのめかしをアニメを見て感じました。

イメージとしてはそうだなぁ、クリムトの絵みたいな感じかな。

どちらかというと、その病んでる部分がフランス的というより、オーストリア的な気がしますね。

彼の病める部分がかなり色っぽくて、そういうところが

オスカルを捕らえて放さないんでしょうねぇ~。そんな気がする。

健康的過ぎる人って魅力的じゃないもの。

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アンドレとオスカルの仲というのは、

まぁ、小さいころから一緒に大きくなった幼馴染というか、アンドレの母方の祖母が

オスカルのうばやだったわけだから、いわゆる乳兄弟なわけですよね。

日本でも昔から主従関係にある家来がご主人様の子供の大切にお育てし、

一緒に育った乳兄弟がその後の若殿を盛り立てていく、っていうのはよくある話なのです。

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彼らの関係ってそればかりでなく、ちょっと総領冬実の『チェーザレ』に描かれている

チェーザレとミゲルの関係に似ているような気がする。

チェーザレはローマ法王にまで登りつめたアレッサンドロ6世こと

ロドリーゴ・ボルジアの庶子なんだけど、

将来、自分一代でボルジア帝国を終わりにせぬため、次の布石として

次男であるチェーザレを枢機卿にさせようともくろんでいた。

いくら、実力者の息子といえど、親の七光りだけで枢機卿になれるほど世の中は甘くない。

パパのロドリーゴが猛烈な教育パパで、現代の早期教育に励んでいる教育ママも

真っ青になるほど、すさまじい教育を幼いチェーザレに施すんですよ。

でもね、やっぱり家庭教師についてマンツーマンで勉強していても

張り合いがなかろう、っていうことで、

容姿端麗で、頭のキレがよく、かつ身体能力が優れた子供と一緒に競わせたようという、

パパの深謀遠慮のもと、はるばるバレンシアの孤児院から

ユダヤ貴族の孤児であるミゲルがもらわれてくるのよ。

こういう子飼いの家来は主君と同じぐらいのレベルの教養を身につけさせておければ、

将来、主君のナンバー2として家を盛り立てていけるし何より主君のよき相談相手になれるから、

という理由でね。

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これは私の想像なんだけど、オスカルパパも、女の子ばっかり5人も生まれた後、

最後の希望の男子出生の希望が潰えてしまった。

落胆した気持ちもあったんでしょう。六番目の女の子なんて対して可愛くもなかったんでしょう。

勢いで末娘にオスカルって名前をつけて男の子として育ててみる、という酔狂におよぶ。

結局、男の子が生まれないんで、しょうがないから自分が長年抱いてきた、

息子が生まれて来たらああしたい、こうしたい、っていう夢をむりやり娘に押し付けたんです。

女の子を男の恰好をさせて、男の子に仕立て上げて剣術を教えて、

男の子が学ばなければならない硬い学問を教えてみる。

それで溜飲を下げていたわけだけど、

本当はそこまで本気で男に仕立て上げるつもりはなかったんじゃないか、

と思うわけですよ。どうせ、ほんの幼児期のしばらくだけの間だ、みたいなね。

オスカルだって、本当は絶対に女の子の名前ももらっているはず。

オスカル・フランソワの前にジョゼ・マリーとか、ルイーズとか。

そうじゃないと、カトリック教会が黙っていませんからね。

でも、幸か不幸か、オスカル嬢ちゃんは、パパの身体能力の高さを強く受け継いだのか、

「これはもしかして?瓢箪から駒か」ってパパに期待させるものを持っていたんだろうねぇ。

賢い子供って時に、非常に残酷な目にあいますね。

きっとオスカルもそうだと思う。

彼女だって女の子。ふつうに育てばお人形さんやきれいなドレスに興味があるはず。

だけど、自分の好きなものを選ぼうとすると、なぜかパパのご機嫌が悪い。

かわりに兵隊で遊んだり、棒きれみたいな長いものを振り回したりすると、パパの機嫌がよい。

そんなふうに自分の感情を押し込んで我慢するクセが付いてしまったんでしょうねぇ。

で、さっきいっていたように、チェーザレ・ボルジアが父の枢機卿の教育方針に沿って

ミゲルをあてがわれたように

オスカルも、そういう意味でアンドレをあてがわれたんじゃないかな。

だから、アンドレも単に使用人のばあやの孫だからという単純な理由だけでなく

ジャルジェ将軍にそこそこその資質を見込まれて選ばれた子供だったんだと思うのね。

アンドレがジャルジェ家の来たころには、もしかしたらオーストリアとフランスの縁組の話もそろそろ

決まりかけていたかもしれないし、わが娘が将来お輿入れする皇女さまと同い歳なら、

やはり、士官学校に入れて、近衛士官にさせて、皇女さまつきのSPにさせたらどうだろう?と

オスカルパパの野望が膨らんだんじゃないかな~。

そうなると、やはりね、いずれ頭がよくて、機転が利いて、いざというとき、娘を守って助けてくれる

影武者的存在の男性が必要になるんですよねぇ。

それがアンドレ。

ちなみに、オスカルとアンドレ、という名前の付け方も面白い。実はアンドレって女の子にも

使える名前なんですよ。綴りはちがうけど。日本でいえば、「薫」とか「まこと」みたいな感じかな。

オスカルと言う名前は、ラテンでも使われるし、北欧はオスカルって名前の国王もいるよね。

まあ、全くもって男の名前なんです。そういうズレみたいなところがね、興味深い。

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さて、オスカル。

オスカルって何にも考えないでマンガとかアニメ見ていると、よく舞踏会やらなんやらのシーンで

人に称賛されていたり、常に話題の中心にいて華やかな存在に思えるっていうか

実際華やかな存在なんだけれど、実は彼女は本当の男じゃないし、

男どうしの本音の部分の会話は絶対に入れてもらえないはず。

かといって性別は女でも、いわゆガールズトークみたいな女の子女の子した輪にはいって

おしゃべりしあえるという存在でもないので、常に孤独なんですよね。

唯一、気が置けない存在で、リラックスして軽口のひとつでも叩けるのが

アンドレしかいないってことに気が付かないといけないんだなぁ。

そう、本当は実際生活においてアンドレは独りでも生きていけるし、その術も心得ているけれど、

絶対にオスカルはアンドレがいないと生きていけない。

オスカルが言葉に出して言いにくいことも、アンドレなら瞬時に察知してくれているんですよ、

どんなときにもね。まあ、だからこそ恋愛感情が育たないって、言えば言えるのかもしれないけどね。

傍から見たら、舞踏会に綺麗な男の子がふたり、踊りもしないで少しみんなから離れて、

すごく仲良さそうにクスクス笑いながら

なにかヒソヒソと冗談を言い合っているように見える。

ちょっと薔薇っぽいっていうか。目立つ存在だよね。

これも、全くの想像だけど、完全に成人してからはともかく、

ティーン・エージャーだった頃のふたりはどっちかというと、本当の男であるアンドレのほうが

繊細な顔をしていて柔和な笑みを絶やさない一方、

金髪で華やかなオスカルのほうが男顔で、きりっとしているんですよね。

ジェンダーの境目がよくわからない二人だったんですよね。多分。

そういう、ギャップがあるとさらに面白いね。見てる方はわかんなくなるから。

共感能力も強かったんじゃないかな、お互い。

男とか女とかそういうところで繋がっていなかったんじゃないかな、もともと。

ああ、昔見た『マイ・プライベート・アイダホ』の中の

まるでリバー・フェニックスとキアヌ・リーヴスのようだ。

オスカルにとってアンドレって想像以上に大事な存在なんですよ。

たましいの片割れっていうかね。

そういう深~いところで実は繋がっているような気がする。

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ベルばらってなにも考えないで読んでいると時間の流れも皆目分からないんだけど、

よく読むと本当はごく初期のティーンエージャーの頃の話から

いっきに三十代にまで飛んでいることがわかる。

黒い騎士事件とか、首飾り事件なんてだいたい同じ頃に起こっているんだね。

首飾り事件なんて、革命前夜の1785年の出来事よ。

もうすでにアラサーなんです。

お嬢様がレディ・オスカルになってフェルゼンとダンスするのも

衛兵隊に入るのもだいたいこの四年の間のことなのです。

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フェルゼンへの恋

そういうわけで、フェルゼンがフランスから離れてアメリカに戦争に行っていて不在の間は

曲がりなりにもオスカルとアンドレの間の均衡が保たれていたんだけれども、

フェルゼンがフランスに帰還するころから、二人の関係に亀裂が入るようになる。

オスカルは自分がフェルゼンに恋をしていることは、誰にも言わなかったけれど、

当然アンドレはそれに気が付いている。

そして、フェルゼンとオスカルが再会して、再びその恋の炎が燃え上がり、

自重できなくなるまで大きくなり、行動を移す。

つまり、レディ・オスカルの舞踏会のシーンです。

昔マンガ読んだとき、「だっせードレス!」と思っていて、

あんまり好きなシーンじゃなかったんですけどね。

今見ても、まあ、時代考証無視のドレスなんですがね。

前面はおとなし目に見えるんだけど、後ろがざっくり腰まで空いていますので

スタイルの良い方しか着れません。ボンドガールみたいなドレスだな。

なぜ、オスカルはこんなことをしたのか。

まあ、いろいろと考えられることはあるけど、

やっぱり彼女は女に戻りたい、女として男性に愛されたい、

という願望が心の奥底にあったんじゃないかな。

もし、万が一、フェルゼンと結婚できることになったとしたら、

彼女はフランスからスウェーデンに嫁ぐわけだから、

彼女の過去を知る人もいないわけだし、リセットできるじゃないですか。

今でいう大学デビューみたいなものかしら?

まあ、それはほとんどありえない切ない願望に過ぎないのだけど。

オスカルは自分が軍人でいることにだいぶ疲れていたのかもしれないです。

でも、ぶっちゃけたこと言っちゃうと、フェルゼンってオスカルの長い14年間ぐらいの

心の恋人だったわけだけど、実際に彼がフランスにとどまっている年月ってそんなにないのね。

アメリカに7年ほどいたし、あと自国に帰っていたりで実質4年ほどぐらいの付き合いじゃないのかな。

まあ、人の付き合い方は時間じゃないから一概にこうだ、とはいえないけど、

オスカルにとっててフェルゼンは、自分の理想や夢を重ねたようなそんな存在だったんですよ。

それに不在っていうのも、恋心を掻き立てる道具だしね。

たぶん、オスカルは自分の意志ではなく、父親の意志によって自分の

人格を否定されて育ったいわゆるAC(アダルトチャイルド)。

彼女は自分が男じゃないことに、いわれもないのに、罪悪感を抱いているんだね。

そんな彼女は遠い北欧の貴公子であるフェルゼンに思いをはせることで、

自分の女の部分を肯定できるし、そういうファンタジーを持っていないと生きていけない。

そんなトラウマがあるのだと思う。

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オスカルはアンドレの自分への恋ごころも知っていたけど、

わざと知らないふりを押し通す。

オスカルはアンドレを異性として見ることが出来ないんです。

そうやってオスカルが自分の恋に夢中で周りを見渡せる余裕がなかったとき、

アンドレは自分から離れて、なにやら秘密裡に行動している様子。

秘密裡の行動というのは、平民のための勉強会、ルソーの『社会契約論』などの

理念を平民たちにわかりやすく解説をしているもので、その勉強会に通っていたわけ。

アンドレは尋ねられたので悪ぶることなく、ある時、オスカルにもその勉強会に連れて行った。

別にアンドレはことさらに隠していたわけじゃなかった。

だけど、これが妙にオスカルの心を傷つけたんですねぇ。

改めて、自分とアンドレの間には越すに越されぬ身分の差があるということに気が付いてしまったから。

そして、実にあたりまえのことなんだけど、

アンドレにはアンドレなりの、自分とは違う行動理念があるということを。

今までは何となく、自分の欲するところはアンドレの欲するところなんだ、みたいに信じ込んでいる

みたいに思っていたけど、実は違うんだって。

(アニメのアンドレは、原作とは違って結構知的好奇心の強い人でよく勉強している)

フェルゼンとの恋が破局に終わった後、

オスカルは、はちゃめちゃなことをアンドレに言うんです。

「これから自分は、昔自分が男であったと信じていたころに帰る。

今よりも、もっともっと厳しい環境に入って、たとえ一兵卒として河を渡るぐらいの

覚悟で生きていきたい。 

そのためにまず、近衛隊をやめて、もっと実戦を経験できるフランス衛兵隊に入る。

これからは自分のことは自分ですべて管理したいから、

アンドレは自分の伴をしなくてよい。自分のやりたいようにせよ」と。

はぁ~?何をいってらっしゃるの、姫は?とうとう壊れたか…。

アンドレはオスカルが明らかにおかしいので、

動揺してしまいます。

だけどねぇ、これねぇ、私はオスカルの、この一見破天荒にしかみえない、

めちゃくちゃな心理、非常によくわかるんですよ。

私も孤独に苛まれて疑心暗鬼に襲われたこと、何度もありますから。

オスカルは心理的にアンドレに距離を置かれるのが本当は怖いんです。

ただでさえ、フェルゼンの恋に破れて心に痛手を受けているのに、

これ以上、アンドレからの拒絶を受けたら、彼女は二度と立ち上がれないことがわかっているんですよ。

あんなに気が合って、ともに切磋琢磨する学友のようで、また多少わがままなことをいっても

優しく話を聞いてくれる兄のような存在が自分から離れて行ってしまう…。

アンドレは別にオスカルみたいに、性を偽って生きているわけではないし、

自分をあきらめて他に好きな女の子と結婚したとしても、オスカルは文句も言えないのです。

だから、相手から切られるよりは自分からアンドレとの絆を切るしかない、と思ったんですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そうやってオスカルはアンドレに向かって理不尽な宣言をして、寝室に入ろうとしたとき、

たとえディベートにおいて反論することはあったとしても、

彼女の感情を害することをおもむろには決して言わなかったアンドレがはっきりと反論するのです。

「オスカル、これだけは言わせてもらう。

赤く咲こうが白く咲こうがバラはバラだ。ライラックにはなれやしない!」

(ライラックってなんの比喩ですか? 男の象徴? 違うと思うけどな~)

それを聞いたオスカルは眉を逆立てて激高。

「アンドレ!それはどんなに頑張っても女は所詮女でしかないという意味か!? 答えろ!」

オスカルは思わずアンドレの横面を平手で張り飛ばします。

アンドレはね、オスカルのむちゃくちゃな言い訳を聞いて瞬間的に怒ったんですよね、たぶん。

怖いもの知らずなのもたいがいにしろ。お前、本当に手加減なしの大人の男の腕力を知っているのか―と。

そして、アンドレは問い掛けを言葉で返さず、オスカルの両手首をギュッと握りしめ、

抵抗しようとするその腕を体から大きく開かせてベッドに押し倒して、無理やりキスをして、

着ていたブラウスの襟をつかんで、それを肩から胸にかけて乱暴にビリビリッと引き裂くのです。

あわやというところで、オスカルの、自分が露出させてしまった

実は華奢な肩を震わせて泣いてしまったのを見て、正気に戻る。

(初めてみた彼女の、絹のような光沢をはなった肩先はさぞや魅力的だったでしょうねぇ~ 笑)

そして、アンドレは「もうこんなことは二度としない。神に誓う」と謝ります。

ベッドで泣いているオスカルに背を向けながらこう言います。

「バラがバラでしかないように、オスカルがオスカル以外になんかなれるはずない!

愛している、オスカル。いや、愛してしまったんだ。これ以上ないほど深く…」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

う~む、重たいですね~。

アンドレ、オスカルを無理やりでもいいから、自分のものにしてしまえばよかったかもしれないのに。

ある意味、そのほうがオスカルは自分の中の女性の部分が蘇生して楽になれたかもしれない。

しかし、それはまた別な考え方をすると諸刃の剣的な、非常に劇薬っぽい対処の仕方でもあって、

下手をしたら、オスカルは自分の女の部分(アニマ)と男の部分(アニムス)が統合できなくなって

おかしくなってしまうかも。

彼女は非常に生真面目で感受性が強い人ですから。

いくらアンドレとはいえ、男性の力による征服なんてやっぱり受け入れられないかもね。

アンドレはアンドレで、あんなふうに泣いちゃったら、可哀そうでそれ以上はできないです。

アンドレはかなり驚いたんじゃないかな。

オスカルは普段、すごく勇敢で、何者をも恐れないふうに見えるのに、

こんなふうに、他愛なく身を震わせて泣いてしまうもろい部分もあるんだってね。

やっぱり、こういうとっさの場面になってしまうと、

もうどうしたって当たり前の乙女の反応しかないんですよ。

余計に愛おしさがこみあげてきちゃいますでしょ?

思うにね、彼はもうとっくの昔に女を知っているわけ。多分、15、6ぐらいのときに

ジャルジェ将軍の差し金で、しかるべきところで筆おろしなんかをさせられていると思う。

今の時代から見れば、それは「ええ?」ってことなのかもしれないけど、

当時は大人になる男の通過儀礼のようなもの。そんなことは当たり前のことだし。

童貞のままで、自分の大事な娘を託すわけにはいかない、と思ってたんでしょう。

だからね、情欲を感じたら商売女で欲望を満たすことぐらい、彼にはキチとできていたけど、

女のオスカルにはふさわしくない話題だし、失礼だから、黙っていたにすぎないだけ。

だから、そこまでして自分の欲望を彼女に押し付けることはしなかったんだと思う。

なんといっても彼女はアンドレにとって掌中の珠だからね。

いくら愛しているといっても、そんな風に彼女を穢してしまうことはできなかったんです。

しかし、この出来事は双方にとって決して忘れられない出来事で、

特に次第次第にオスカルの心の奥深くに沈殿して増殖していくことになるんですけどね。

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な、長い!しかし、まだまだ続きます!笑


2月読んだ本のマトメ [読書&映画]

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪―ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)感想


初ヘミングウェイ。率直に言って非常に難しかった。

というのも物語のアウトラインが滲んだように曖昧なのだ。

加えてこの作品は一見タフでマッチョなように見えて、実はとてもフラジャイルで孤独だ。

この両極端な感情が何層にも織り込まれ、どの作品も万華鏡を見ているようなめまいを感じる。

こういう一種言い難い複雑な感情をドライだが、美しい筆致で描いている。

特に『キリマンジャロの雪』は読んでいて切なかった。

遠いアフリカの地で破傷風で死に行く男とその愛人。

二人の間に横たわる様々な感情も死が一切を断ち切ってしまう―。


読了日:2月28日 著者:アーネストヘミングウェイ

タリスマン〈下〉 (新潮文庫)タリスマン〈下〉 (新潮文庫)感想


まるで映画を文で読んでいるようだった。

キングってこんな小説も書くんだなぁ、っていうのが一番の感想。

あっちの小説って聖杯伝説が好きだなぁっていつも思う。

主人公があっちの世界では王子さまとか。ん~、なんかファンタジー小説の王道を地でいっているような?

面白かったけど、読めばそれで終わり、みたいな小説だった。

ただ、ディティールの書き方はさすがにすごく上手かった。

情景描写とか。

こんなくだらない筋でここまで分厚くて面白く読ませるにはかなり文章力が必要だろうな、とは思った。


読了日:2月21日 著者:スティーヴンキング,ピーターストラウブ

タリスマン〈上〉 (新潮文庫)タリスマン〈上〉 (新潮文庫)感想


ひっさびさのファンタジー小説。

まぁプロットはよくある話なのだが、面白い!

あっち側の世界の構造が入れ子構造になっているというのは

インセプションにもあったような。

もうあっちいったりこっちいったりで大変なジャック。

一つ難を逃れたと思えば、また新たな敵が!

まるで少年ジャンプを読んでいるようだ。多少疲れながら下巻へ。


読了日:2月18日 著者:スティーヴンキング,ピーターストラウブ

京都ぎらい (朝日新書)京都ぎらい (朝日新書)感想


縁があって洛中に住むようになって26年。

もともと東京志向だったので京都に何のステイタスも感じていない。

だから「京都って田舎ですね」と憚りなく言って義母を逆上させ、

「京は悦楽の都ですからなぁ」と義父が話しているのを聞きながら内心呆れていた。

確かに洛中の人が本書のようなイケズ口を実際に叩くのを何度も聞いた。

しかし都人を気取っている彼らは、

天皇の東京遷都に随行させてもらえなかった殿上人以下の地下人の末裔である。

所詮負け犬の遠吠えに過ぎない。

著者の洛中人嫌いの気持ちはわかる。でもそれは目糞鼻糞を笑うなんだよ。

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京都のど真ん中に住んでいる人間の感覚としては、

やはり、嵯峨や山科や伏見は京都じゃない、っていう感じですかね。

だって、遠いもの。

別に差別しているわけじゃないと思う。

だって、ふつうに今でも

「昨日、山科に行ってね」みたいに使うし。

そこは東京の人間が「昨日、八王子に行ってね」みたいに使うのと

なんら変わりがない、と思えるんだけど。

京都の洛中洛外、という概念はいつごろ起こったのだろう。

昔、平安京を作ったときは今の千本通が中心であって、

そこから西と東に都が作られたのだが、

あいにくと右京は湿地なので、住づらかったとみえて、早々に集落が廃れていく。

そして、東のほうに都は移動していくのだが、

すごく昔、おそらく平安京の大極殿が本来の千本丸太町にある時代は

私が住んでいる一条戻り橋あたりは洛中ではなかった。

そういう基準でみれば、もと里内裏であった今の御所も洛外にあるということである。

そう、本当は洛中洛外の明確なラインなんてない。

今も昔もなにかにつけて、差別化する人はどこにでもいると思う。

そんなことはどうでもいいのである。私にとっては。


読了日:2月15日 著者:井上章一

王妃マルゴ 4 (愛蔵版コミックス)王妃マルゴ 4 (愛蔵版コミックス)
読了日:2月14日 著者:萩尾望都

少女漫画にしてはよく描けているとは思うんですが、

なんていいうのかな、フランス文学者である加島茂氏いわく

「フランスではナイーブとは馬鹿のこと」とはっきりおっしゃっておられる。

それを鑑みてみれば、どうも作中のマルゴはまさにナイーブであって、世慣れていない。

一国の王女ともなれば、自分の想う人とは100パーセント添い遂げられる確信があってもしかるべきだし、

私がマルゴなら、フランスという大国の王女の身分であれば、姉のようにスペイン・ハプスブルグのような

大国に嫁ぎたい、と思うはず。

そういえば、シシィで有名なオーストリア皇妃エリーザベトの母親はバイエルン皇女であったのだが、

姉がオーストリア帝位継承者に嫁いだのに比べて、

自分は格段に格下の公爵家へ嫁ぐのが不満で仕方なかったそうです。

どちらも絶世の美男美女で資質もお互い素晴らしいものでありながら、

この二人はそういうわだかまりがあって、生涯仲良くなれなかったとか。

王家の人間の思考というものは、我々庶民の範疇外だと知りました。


ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)ミャンマーの柳生一族 (集英社文庫)感想


以前読んだ「アヘン王国」のほうが断然インパクトがあった。

今回は作家の船戸さんの取材旅行に同行する正規のルートでの旅行。

どういうわけか筆者ではなく、船戸さんがミャンマー政府ににらまれ、

政府側の情報局の人と同行することになった。

その情報局の人々を高野さんが江戸時代の「柳生一族」になぞらえたもの。

一番可笑しかったのは、ミャンマーの人々は柳生十兵衛が当たり役だった千葉真一を

「ソニチバ」という名称で良く知っていたということ。

全体的にいろんなことに視点が分散されているので、面白いは面白いが散漫な印象は否めない。


読了日:2月14日 著者:高野秀行

まぐだら屋のマリア (幻冬舎文庫)まぐだら屋のマリア (幻冬舎文庫)感想


原田さんの本はどんな設定の物語でも食事の場面がすごくおいしそうだ。

実はぬか漬けが大嫌いなのだが、読んでいるとつい食べてみようかという気にさせられる。

これは遠藤周作が描くような聖書の話でない。

「マグダラ屋」の「屋」がミソである。

でも、劇中のマリアは実際のマリア・マグダレーナのように慈悲深く、

改悛の女であり、全てを赦す母でもある。一種のアジールとなった山陰の村。

そこに一度は死のうとまで思いつめ、世を捨てた人々が昔からたどり着く。

しかし彼らは次々と立ち直っていく。赦すことが出来る人は誰かに赦された人でもある。


読了日:2月10日 著者:原田マハ


 

ラデツキー行進曲(下) (岩波文庫)ラデツキー行進曲(下) (岩波文庫)感想


身を挺して命を救った人が皇帝だったため、

貴族に叙せられた男がいた。

命を救ったといえ、華々しい軍功によるものでない。

当人も息子も凡人。孫は愚鈍で放埓。

同じようなタイプの愚かな男をバルザックも散々書いているのだが、

バルザックのように読ませる作品でない。

人間的魅力に欠ける。

話は迷走してどこへ向かうのかわからずイライラしながら読んだ。

寛大な皇帝は臣民の恩はいつまでも忘れずどこまでも応えてくれる。

そんな愚直な寛大さが今はなきハプスブルグ家の真の偉大さだったのか、

その後の次々と旧オーストリアを襲う辛い運命を考えれば。


読了日:2月9日 著者:ヨーゼフ・ロート

ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)ラデツキー行進曲(上) (岩波文庫)感想


オーストリア皇帝、フランツ・ヨーゼフの孫娘にして

皇太子ルドルフの娘の赤い皇女と呼ばれたエリザベートの伝記を読んだ時、

晩年まで彼女はオーストリア皇室を否定してたのだが

(だから社会党員とまで結婚したのだ)最晩年にこの本を読んで涙を流し、

「やはり帝政も悪いものではなかった」といったという。

それに興味を駆られて読んだのだが、作者のロートはかなり複雑な出身のそれもユダヤ人で、

そういった人種の複雑さが旧オーストリアの第一の特徴であると改めて思った。

上巻の終盤に当たる老執事ジャックの死がなんとも美しい描写で読ませる。


読了日:2月4日 著者:ヨーゼフ・ロート


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