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革命期に実在した男装の麗人  テロワーニュ・ド・メリクール [ちょっとした考察]

THEROIGNE de MERICOURT.jpg

フランス革命の男装の麗人といえば、ぱっとオスカル!って連想すると思いますが、

彼女は架空の人物。

でも今日は、フランス革命期にほんとうに男装の麗人が実在していた、って話をしたいなと思います。

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革命以前の旧体制のフランスは、カトリックの教えが人々の生活の奥深くまで

沁みとおっているそういう世界でした。

まさに、子供が生まれたらカトリックの坊さんに洗礼を施してもらい、

12歳ごろになると、堅信礼(一種の大人になる儀式。日本でいうところの元服みたいなもの)、

結婚するときも教会で式をし、

死ぬときは死ぬときで、終油の秘跡をうけ、告解してもらう、

教会の鐘の音を合図に仕事をはじめ、仕事を終えるといった、

生活のリズムができあがっていたのでした。

まさにゆりかごから墓場までカトリック教会に世話にならずには

生きていけない感じなのです。

ま、それはそれでよいのですが、

カトリックには純然たる身分の差は当然というか、自明の理だと認められていました。

人間はそれぞれ自分の身分にしたがって、分をわきまえて秩序正しく生きるのが

人としての道だったのです。

身分とはどのように考えられていたのでしょうか?

今なら身分の差というのは、もともと、その土地の征服者と被征服者の違いだろうと思えるのですが、

当時は違います。

世の中は神の恩寵が深い人とそうでない人がいて、

すごくすごく、神の恩寵が深い人は王冠を授かる運命にある。

つまり王様になれるわけですね。

これがいわゆる『王権神授説』なのです。

そして貴族もそういう恩寵深い人なのです。

じゃあ、第三身分の人、平民はどうなのかというと、神の恩寵があんまり深くない人です。

こういう人たちは神の恩寵から離れているので、王族・貴族よりずっとずっと

能力も低く、容貌も醜く、心根も賤しいものなのだ、とみなされていました。

これねぇ、酷いよね。

貴族って栄養状態がいいから、背も伸びるよね。いいからだしていたと思うよ。

明治時代の人と現代人を比較してごらんなさいよ。

いまの人のほうがダンチにでかいじゃないの。それは栄養がいきわたっているからよ。

革命前の貴族は、ハチでいうなら、ローヤルゼリーを与えられて生きていたようなもんよね。

さしずめ、民衆はみな働きバチよ。

それに、もともと骨格が貧弱なところへ働きづめにしてりゃ、どうしたって

老けるのが早いわね。農民なんて10代の一時期だけよ、若いって感じられるのは。

お肌もかさかさしてるし、お風呂にも入らないから汚いわよ。

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ともかく、このような無知蒙昧な輩を教え導くことが、領主たる貴族の務め。

まぁ、これは建前だよね。

そんなあなた、命をかけて領民を守ってくれる貴族サマがどこにいたっていうの!

領主はいざとなれば、領民のために命も辞さない覚悟を決めて生きていかねばならないかわり、

領民はそういう精神的な重圧から逃れているのだから、分をわきまえて

よく働いて年貢を納めることが肝要とされていたのです。

そう、年貢だけは必ず持っていかれるんだよね。

もう、領主サマに収める年貢やら、教会への年貢やら、なんやらで

もし、10あったら、1手元に残ればヨシとしなきゃならないほどだったのね。

それなのに、特権階級は税金を納めなくてもよかったんザンスのよ~~。

きぃ~、いったいなんなの!!

なんていうのか日本の士農工商みたいな身分制度だったんですね。

百姓は生かさず、殺さずってことば、フランスの農民にもぴったり当てはまるよね!!

第三身分の人々が他の身分に立ち混じれるところはどこでしょうか…?

そうそう、軍隊とか教会ですね!

ですが、こういうところはどんなにすぐれた人でも

身分が低いと上に上がることはないのですね。

反対に貴族だったら、どんなにボンクラでも結構高い地位につくことができるのです。

いきなり大尉からスタートとか

あるいは子供のくせに司教とか。

その代わり、どんなにインテリでも第三身分だったら、村の坊さんどまりとか、

軍人なら本当に頭が切れて、すごく努力したとしても大尉(これだけでもかなりすごい)とか。

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うう、ほんとうに考えるとひどいわぁ。

そこで今日のこのテーマを考える上で重要なことがあります。

カトリックの教義によりますと、女性の男装は「罪」でありますのよ!

あのフランス救国の聖女ジャンヌ・ダルクもたしか、

最後宗教裁判にかけられ、魔女と断罪されましたが、

その罪の中のひとつに「性を逸脱して男のような恰好をして戦いに挑んだ」

のがあります。

ですから~、さしずめオスカルさまは、本当に実在したアンシャン・レジームのフランスの世の中では、

絶対に絶対に絶対に、軍人なんかになれなかったということです。

あれは、まぁ、フィクションなんですよ。

つまり当時は、女性はどんなに優れていても、

男性の活躍する領域には、

少なくとも公式には入れてもらえなかったということです。

(どさくさに紛れて、一緒に戦争に行くのはアリだった)

今日お話しするテロワーニュ・ド・メリクールさんと言う人もそういう

男のダブルスタンダードで人生をめちゃめちゃにされた女性の一人なのです。

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フランスで18世紀末に革命が起こりました。

これまでの体制では、どんづまりで

二進も三進もいかなくなったからです。

もともとルイ16世が即位するときにはすでに財政の危機は訪れていたのでした。

おじいさんのルイ15世は美男で有名ですが、もう政治とかなんとかはそっちのけで

女道一本槍という人です。

彼の庶子はなんと60人以上もいたということですから、そのすごさがわかろうかというものです。

でルイ15世は常々「私が生きているうちは何とか持ちこたえるだろうが…」とはいっていたものの、

緊縮財政をするでもなく、使いたい放題だったんですねぇ。

もう世の中行くところまで行ってしまっていたんですよ。

ルイ16世はそれでもなかなかの名君だったらしいのですが、

時代の波は彼の方には向いていかなかったようです。

この革命はもともと政治形態やら、社会のシステムなどを変えるという目的もあったのですが、

既成の概念を全部ぶっ壊して、新しくて理想に満ちたものを再創造しよう!という

考えようによってはなんかめちゃめちゃロマンティックというか、おめでたい側面もありました。

一番代表的な例はメートル法です。

今も世界水準で当たり前につかわれていますよね。

で、さきほども申し上げましたように、ガチガチのカトリシズムだったフランスも

革命のおかげで「ライシテ(宗教の世俗化)」が進み、

離婚する自由や、宗教を信じない自由もできてしまったのです。

本当は国王が逃亡しなけりゃ、イギリスで国王がその頂にいる

イギリス国教会ができたように、フランス国教会ってものができただろうに、

フランスはいきなり無宗教化していくのですねぇ。

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7月14日、バレ・ロワイヤルでカミ―ユ・デムーラン(ベルばらのベルナール・シャトレの

モデルになった人・ロザリーの旦那様です)が民衆を鼓舞する演説をしました。

そこで民衆のハートに強い愛国心の炎がともり、みんな一斉にバスティーユ攻撃に向かうのです。

ここにひとりの女性がデムーランの演説を聞いて、陶然となっていました。

彼女こそ、フランス革命初期に活躍した革命家たちのアイドル、

テロワーニュ・ド・メリクールなのです。

彼女はもちろん平民、というか一種の高級娼婦でした。

彼女のパトロンとして一時期イギリスの皇太子もいたという話です。

ですが、彼女はほとほとこういう商売は自分に合っていない、と痛感していたのです。

もともと、彼女は聡明な人でこういう女という部分を武器にして生きていくのが嫌だったんでしょうね。

それでも天涯孤独の身、自分の身一つをたよりにして生きて来たのです。

デムーランの演説に心動かされた人々が共有したその場の友愛に満ちた雰囲気を感じ取って

すばらしい時代が来た!と考えたのでした。

で、テロワーニュがえらかったのは、そこで終わりじゃなくて、

もっと深く革命理念を知りたい、勉強したい、と思ったことだったのですね。

彼女の教養はどうにか読み書きはできる程度だったのです。

(当時、読み書きできる人はほとんどいなかったのでこれだけでもかなりエライのですが)

そこで彼女はヴェルサイユの国民会議場にまで赴き、

議員たちが何を話しているのか、直接聞きに行くのです。

今まで系統だった学問を収めたことがない彼女にとって国会が最初の学校となったのでした。

このとき、テロワーニュは、女の恰好をやめ、

乗馬服を着て、腰に一振りのサーベルと二丁の拳銃を下げ、

羽帽子をかぶっていったのです。

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彼女は高級娼婦をやっていただけあって美人だったし、

それにすらりと細身でスタイルもよかったので、

実に男装が似合っていたのだそうです。

そしてたちまち、革命家たちのアイドルとなったのですね。

ただ、彼女の場合、あまりにそれがサマになりすぎていて、有名になりすぎ、

ありもしないうわさが伝説化されて人の口から口へと伝えられ、

どんどんその虚像が独り歩きしてしまったのが、後々彼女を躓かせる元となるのですねぇ。

彼女は、国会の傍聴席に座るために、毎日毎日朝早くから列について並んでいたといいます。

初めは国会議員の演説も、論争を聞いても

何のことやらちんぷんかんぷんでしたが、

それでもマジメにノートを取り、国会に日参していたおかげで

しばらくしたら、本当に革命のことをきちんと理解できる人間になっていたのです。

これは本当に素晴らしいことですね!!

8月26日に採択された人権宣言。

「人間は自由なものとして生まれ、権利において平等である」

彼女はこの言葉を文字通りそのまま受け取りました。どんな人間も自由。権利において平等。

じゃあ、わたしもそうなんだ!って理解したところに彼女の悲劇があるのです。

それに、なまじっか他の男よりも聡明で、弁が立ったのですよ。

そのとき、彼女は「私は男と同等の能力がある! これから女を捨てて男として生きる!」

と決意するのですが、

世間じゃ彼女が女であることをかたときも忘れてはいなかったのですねぇ。

男の恰好できゃあきゃあコスプレしていたところまではみんなやんやともてはやしていたのですが、

理路整然とした口調で弁論するようになると、男どもは一挙に彼女を煙たく思ってしまう。

テロワーニュは、英国皇太子までお客にとるようなココットでしたので、

結構な財産をそのころ貯めていたました。

で、そのお金を使って、革命家たちのサロンまで開いてやるのです。

でもでも、男ってずるいんですよ。

ここまでテロワーニュに金銭面で世話になっていたくせに、

お金が尽きるとテロワーニュをかばってやろうという人間は現れなかったのです。

さて、一旦彼女は生まれ故郷のベルギーに引きこもって、

再びパリに現れたのは1792年。

革命の様子も最初のころとかなり様相が変わっていました。

以前はミラボーが中心となって立憲君主制を推進していましたが、

国王が国外に亡命しようとして失敗し、

国王の人気と権威は失墜してしまいました。

世の中はもはや国王を必要としておらず

共和制を望む声が高まっていたのです。

そして、革命をつぶそうとする諸外国との戦争の機運が高まっていました。

彼女は女性も武器を取って、男性と一緒に戦うよう、みんなに呼びかけます。

「女性市民のみなさん! 私たちの献身的行為によって、敵の策謀の意図を断ち切ることができます。

武器を取りましょう。私たちにはそうする権利があります。フランスの女が18世紀の光明に

少しも遅れをとっていないということをヨーロッパに示してやりましょう!」

素晴らしいですね。テロワーニュ。こんなことまで言えるようになったんだ…。

ですが、世の中の男は決してこれをこころよくは思っていなかったんです。

人権宣言の「人間」というのは、男に限った事であって、女は含まれていなかったのですね。

女は夫に従って、家事をやり、子供をそだてていればいいのだ!

う~む、男の本音が見え隠れしますね!

やはり、理想に燃えている世の中とはいえ、まだそこまで進歩的にはなれなかったみたいです。

ちなみに恐怖政治で有名なジャコバン党の領袖であるロベスピエールは

理想を追い求めるあまり、もうブルジョワ革命を通り越して、

ほとんどこれはプロレタリア革命というか社会主義革命みたいなとこまで

目指した人だと思うのですが、

そんな人でさえ、女性が社会に台頭するのは許せなかったみたいですね。

たぶん、その当時の彼らの女性に対する思いというのは、

その理想の最たるものは聖母、それも「スターバト・マーテル」悲しみの聖母

なんではないでしょうかねぇ。

つまり、男にとって「おふくろさん」っていうのが一番ありがたいもんなんでしょう。

利口ぶって男のようになってほしくない。

どんなに罪深い息子であっても慈しみ憐れむ母。

さかしらげに息子に理路整然と説教する母親とか女房なんていらないんですよ。

そっと後ろから抱きしめてほしい存在なんですよ。たぶんね―。

こういうのって、ロシアにある「聖痴愚」を信仰するのとなんか雰囲気似てますね。

昨日、007シリーズの「スカイフォール」みてましたけど、

ごっつい男、ダニエル・クレイグ扮するボンドをアゴでこき使うのは

小柄な女性上司のM。

国会の審議会の質問するのも女性大臣、答えるのもM。

みんな女性ですよ。

別にそれで卑屈になっている男はいませんからね。

まぁ、イギリスは昔から女王を輩出する国でしたから

そこらへんの耐性は伝統としてあったのかもね。

とにかく、フランスはサリカ法かなんかしらんけど、

女性は王にはなれないの。

フランス人っていうのは、なんかこう理想を追い求めるその純粋なまでのパワーもそうだけど、

いったん許せない!と思ったら、あらゆる汚い手を使って

女性革命家を追い落としにかかるのが本当に熾烈で残酷です。

あいまいなんが嫌いなような気がする…。

ある、女性革命家が

「女性だって、断頭台にかけられたりするんだから、

当然、男と同等の権利はあるんじゃないの?」

と食って掛かったのですが、やはり首だけはきっちり切られて、

しかも権利は認められないのですねぇ~。

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最初は第三身分のものが一丸となってまとまっていた国会ですが、

今では比較的穏健であるとみなされているジロンド派と

理想を求めるあまりに急進的なジャコバン派の間で闘争が繰り広げられていました。

国家っていうのは、国内の福祉とかナントカに目を向ける面と

対外政策との両輪のバランスがとれてないととんでもないことになるんですねぇ。

ロベスピエールも平民の味方だとかなんとか言っていますが、

この人だって大学まででていますからね、貧しいとかいっても、やっぱりブルジョワには違いないのです。

でも、そうやってブルジョワ路線に走ると、民衆が黙っちゃいないのですよ。

とたんに暴動になって、クーデタが巻き起こってしまう。

とにかく、革命というたずなを引き絞るのが本当に至難のわざなのでありました。

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最初はテロワーニュの再登場にやんやと喝采が起こったのですが、

またもや、この二派の中で彼女は追い落としの材料として利用されてしまうのです。

彼女はジロンド派の一味だとして、パリの街の女たちに捕まえられ、

白昼の、それも公衆の面前で思いっきりひどい屈辱を受けることになるのです。

フランス革命っていうのは、高邁な理想を求めて人行われたこの上もなく

美しい行為でもある反面、

なんていうのかな、野卑な民衆がどさくさに紛れて、自分たちが妬ましいと思った人物を

血祭にあげる、っていうそういう卑劣なことも同時に行われていました。

美しくて、スタイルがよくて、聡明なテロワーニュの本当の敵っていうのは、

男じゃなくて、「なにさ、女のくせに男みたいなかっこしやがって。

なんであいつだけがあんなにきれいで凝ったブラウスなんかきてられんのさ!

あたいら、マジメに働いたって、一生そんな羽飾りの帽子なんかと無縁だね!

ハン!気取りやがって!」

とこのように嫉妬されるんですよね。

(女の嫉妬っていまも昔も構造は変わらないですね…)

そうやって下町の女たちは国会の入口でテロワーニュをヤジったのですが、

テロワーニュは毅然として、その女たちをにらみ返したのですね。

これがよくなかった!

態度が貴族的過ぎたんです。

目線が思いっきり高かったというか…。

すごくバカにされた、と思ったみたいですね。

女が五六人でテロワーニュひとりを羽交い絞めにして

彼女の後ろに回り込みテロワーニュのスカートをまくり上げ、

むき出しになったお尻を皆の前にさらしてさんざんに平手うちという

暴挙に及ぶのです。

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それを見ていた男たちはゲラゲラ笑うだけでテロワーニュを助けようとする者はいません。

たまたまそこを通りかかった通称「人民の友」であるマラーがそれを見て、

テロワーニュを助け出したのでした。

マラーはテロワーニュを慰めようと手を尽くしたのですが

可哀そうにテロワーニュは、ショックがきつすぎて何も言い返すことも

おこることもできず、ただ泣きに泣いていただけでした。

これが彼女が人前に姿を見せる最後になったのでした。

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あ、ここでベルばらのオスカルさまを思い出してしまう。

彼女も、なんか似たようなことなかったですか?

あ~、そうそう!

フランス衛兵隊に赴任したばっかりのとき、

女だからってんで、アランたち衛兵のボイコットにあって、

夜中のヴェルサイユ宮殿の庭園でひとりでいるところを

男どもにさらわれて、あわや輪姦(失礼!)されそうになったような???

あれ、従卒のアンドレがすぐに気が付いて守ってくれたから事なきを得ましたが、

彼がいなかったら、やはりオスカルさまもテロワーニュみたいになってかも…。

とかく女の場合、屈辱を味合わせてやりたい、って思ったら、

そういう暴行を働こうとするじゃない、なんだかんだいって最後は。

卑劣よね~~。

テロワーニュには、残念なことに守ってくれるボディガードはいませんでした[右斜め下]

結局世間からも

「淫売のくせしやがって、革命家を気取って演説だと? 笑わせるな! ちゃんちゃらおかしいぜ!」

と一笑に付せられ、冗談で済ませられてしまうのです。

実は結構繊細な神経をしていたテロワーニュはこの泥まみれの屈辱に

耐えることができず、精神がおかしくなり、くるってしまったのです。

それから彼女は死ぬまでサトリペリエール婦人療養所で過ごすことになるのです。

享年55歳。

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晩年のテロワーニュ。
かつての美貌のかけらさえ
残っていません。悲しい

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