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クラーナハ! [ちょっとした考察]

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この間、ちらりと日曜の朝、NHKの『日曜美術館』を見ていたのだが、この回はクラーナハだった。

う~ん、いつから「クラーナハ」と表記しだすようになったのだろう?

わたしが教えられたのは「ルーカス・クラナッハ」だったのに…。

今は「ルカス・クラ-ナハ」なんだそうだ。

ま、ドイツは全く解りませんので、「そうなんですよ」と言われたら「そうなんですか」って返すしかないんですけどね。

それでクラーナハといえば…わたしは『エロイカより愛をこめて』のエーベルバッハ少佐をすぐに連想してしまう。

この少佐渾名を「鉄のクラウス」とおっしゃいまして、軍人ですが、なんていうのかな、芸術音痴な方なのです。

で、美術品マニアの怪盗であるエロイカことグローリア伯爵は目利きなので

すぐに「これは〇〇時代の〇〇だ!」ってウンチクを垂れ流して喜ぶのですが、

少佐はうんざり。

ルーベンスあたりの絵になると「三段腹のおばはんが白目をむいている絵だ。不健康な絵だな。ダイエットをしたほうがいい」というのに対して、必ずこのクラーナハの絵が出て来るんですね。

少佐いわく「発育不全の小娘の絵なんか見てなにが楽しい…」なんですよ~。

でもそれはとりあえず、プロポーションからみるとその評は本当で、

上半身はいやに貧弱です。

で、わたし、なんか昔からこのクラーナハの絵は好きじゃないんです。

で、話は元に戻りますが、

日曜美術館の司会はNHKの女性アナウンサーの方と俳優でクリエイターの井浦新がやっておられますが、

途中でドイツ文学者で最近は「怖い絵」シリーズで有名な中野京子さんが出られたのです。

で、その前にもエライ画家の先生なんかがコメントしておられて、

「少しフェティッシュなものも感じられますねぇ~」と本音をオブラートに包むように仰っておられたのに対し、

京子先生は「変態ですよね!」と一刀両断!

たじろぐアナウンサーさんと井浦さん。

「え? ええ、 ヘンタイ、ヘンタイチックですよねぇ~。なんというかこのぉ~」

と必死になって中野さんをフォローしようとしていて、慌てふためているリアクションがなかなか面白かった…。

最近のNHKはスポンサーがいないせいかなかなか強気です。


革命のあだ花 テレジア・カバリュス  [ちょっとした考察]

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さてここのところ、ものすごい勢いで拙ブログの「テロワーニュ・ド・メリクール」のアクセス数が増えております。

みんなこんなふうなお話が好きなのかな~?

というわけで、今回ご紹介する方はこの方です!

じゃ~ん、彼女こそはタリアン夫人こと、テレジア・カバリュス、

テレーズ・カバリュスのほうが正しいのか、

ま、要するにスペイン語読みかフランス語読みかの違いですね。

彼女は非常に美しく、

「テレジァはサロンに昼と夜を作る。彼女自身には昼を、他のものには夜を」ということで、

つまりは彼女が非常な美女だったので、彼女ばかりが光かがやいてみえて、

他の女はかすんでしまったということですね。

ふうん…ですよね。

わたしがこの人を最初に知ったのは、藤本ひとみの小説です。

令嬢テレジアと華麗なる愛人たち

令嬢テレジアと華麗なる愛人たち

  • 作者: 藤本 ひとみ
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2004/05
  • メディア: 単行本

ふ、この表紙、サージェントですよ。あ、まぁそんなことはどうでもいいことですが…。

この小説面白いは面白いんですが、結構そのテレジア・カバリュスが

本当に歴史上に登場して活躍した時代とずれておりまして、

彼女がローティーンからハイティーンぐらいまでを描いたものなのですが、

ま、どういうのかな、けっこうすごい話なんですよね。 笑

彼女はスペインの銀行家の娘でして、

14歳のとき、フォントネー侯爵っていう人と結婚するんです。

それがちょうどフランス革命前夜と重なるんですね。

で、まぁ世間では貞女で品行方正なのが正しいと思っているのかもしれないけど、

しかしそういうのは一種の欺瞞であって、

自分が望むように恋をして、自分が望むように男とアバンチュールを楽しむのも

いっそのこと正直でいいではないの、という話なんですね。

しかし…つやっぽいお話が得意の藤本さんもどういうわけか

このときばかりはすごすぎて、話のストーリーなんかはどうでもいいかな、ってくらい

性的描写がすごい…!

後にやっぱりこれは漫画化されておりました。

でも、漫画に比べるとやっぱり小説のほうが何倍も上品かな。

不品行なことを書いているけど、品が下らないのはやはりさすがです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、小さい時からませた女の子で、しかも抜群に美しかったから、

初体験も早くて、12歳。(ほんとかどうかは不明)

で、14歳で結婚。

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革命が起こり、夫とともにボルドーへ逃れ、そこで夫とは離婚。

夫は亡命するも、テレジアはボルドーにとどまるのです。

テレジアにとって、貴族の矜持とかどうでもいいことですし、

(もともと彼女はブルジョワの出)

それに自由平等とかそんなのどうでもいい、毎日がたのしけりゃそれでいい。

初めはボルドーのジロンド派の革命委員の人と仲良くなって、

首を切られそうになった人に色仕掛けでもって、革命委員にかけあっていたのですが、

まぁそれもだいそれた気持ちからではなく、

単に親しくしていた人を見過ごせない、そんな気持ち。

でもそうやって革命家のタリアンといい仲になっていたのだけれど、

いつしかテレジアも反革命という科でとらえられてしまって、

ギロチンを待つ身になってしまったのでした。

でも、ここに歴史の偶然がはたらいたというべきなのか、

彼女が獄中でタリアンに、自分をここから救出してくれ、って手紙を書くことによって、

タリアンはいざという時の火事場のバカ力的なパワーで

恐怖政治でバカスカ首を切りまくっていたロベスピエールとサン・ジュストを、

追い落とすことに成功するんですね~。

タリアンはこの、恐怖政治を終わらせたという一点において、偉大であり、

歴史に名を刻むことが出来たのです。

で、まぁタリアンをそのようにクーデターに走らせることができたのも

要するにテレジアの美貌のお蔭ということで、

世間はテレジアのことを、「テルミドールの聖母」ともてはやしたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ハイ、結構長かったですが、ここまでは前振りです。

テレジアの偉大だったこと、それは首を切られちゃったマリー・アントワネットに代わって

その時代のファッション・リーダーになったことです。

彼女は結構スタイルがよく、そして時代は新古典主義な時代ですね。

で、ギリシャ風の、ギリシャ風だけど、スッケスケの生地でコルセットもなんにもしないで

すっぽんぽんの裸の上からそのスッケスケの悩殺ネグリジェのようなドレスを着たのです。

もう、裸であるいているよりタチが悪いよね、こういうの。

で、彼女は本当にギロチンにかかる一歩手前でしたので、

見苦しくないように自分で髪の毛を切っていたんです。

というのも、ギロチンにかける場合、髪の毛が邪魔になるので、たいてい

処刑人にザクザク髪の毛を切られちゃうんですね。

テレジアはおしゃれ番長でしたから、そういうのには耐えられない。

で、せめて髪の毛を短く切っても、見苦しくないようにと

自分で工夫して髪の毛を切ったそうです。えらいな。

こういうところが、西洋の美女の偉大なところだと思うのね。

ま、それはともかく、このヘアスタイルがまた妙に似合っていたそうです。

で、窮地から脱出してサロンに出現するようになっても、すぐ髪の毛がながくなるわけじゃないので

その髪の毛とすっぽんぽんドレス、そしてサンダルで出現したのですね。

すると世の中、その悩殺ドレスが流行りに流行って、

みんな伊達の薄着なもんだから、風邪ひいちゃって死者続出だったらしいよ。

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とまぁ、このように恐怖政治によって息をつけないような世の中から

一気に享楽的な世の中が出現し、その時代の雰囲気を正確にかぎ取って

その時代の寵児になったということが、テレジアの特筆すべきところかな。

はい、そしてもう一点。

彼女は「あげまん」ならぬ「さげまん」だったということ。

彼女は男を育てるということができない女だったのです。

タリアンにしろ、バラスにしろ、彼女とくっついたころは

世間のトップにいたんですね。

完成品ばかりを欲しがる女だったのです。

で、テレジアは、そういう傑物を見抜く伯楽であったなら、

絶対に将来、ナポレオンの妻として皇后の冠を頭上に掲げていたはずなのです。

しかし~、彼女は見る目がなかったのですね。

ナポレオンも美貌の彼女に一度は口説いたんです。

ですが、そのときはイタリアに侵攻していて強い将軍といっても、

そのときは無名の26歳の若造だったんです。

で、見栄えのしない小男なんか願い下げだわ、といって洟も引っ掛けないかった。

それが後々の禍根の原因です。

ナポレオンもプライドが高いので、絶対にこのテレジアの仕打ちを忘れませんで、

彼女が零落していても、決して助けようとはしなかったのです。

反対に、ですね。

ジョゼフィーヌ。彼女も内心、ナポレオンと結婚するときに、

え、こんな男? いやだなぁ~とは思ったんですが、

当時彼女はナポレオンより六つ年上の32歳。

それに二人の子持ちの未亡人。

他に選択がなかったのですね。

仕方なく結婚。

なんというのかな、テレジアは当時まだ21歳。

まだ青臭くて生意気だったんでしょう。

男だったら神でさえわたしの美貌でひざまずかせて見せる、と思っていたかも。

一方、ジョゼフィーヌはまぁ、「足るを知る」女だったのですよ。

わたしもこれぐらいで御の字だと思っていないと…。

この気持ちですね、これが二人の運命を決定的に明暗に分けたのです。

ですがね、彼女はなんていうの、男をいっちょまえに育てる能力っていうのがあったんです。

あとね、態度が非常に優しくて優雅だった。

テレジアも好きじゃない男を断るにせよ、

やはりね、男のプライドを傷つけないようにやんわりと優しくすべきだった。

ジョゼフィーヌもね、最初のころはナポレオンをさっさとイタリアへ追いやって、

若い恋人と浮気していたんだけど、まぁ、でもあからさまな態度には出さないようには

気を付けていたのかも(いや、ナポレオンがぞっこんだったからなのかも)

癇性なナポレオンにすげなく追い返された人も

皇后ならわかってくださる、とよくとりなしてもらおうとジョゼフィーヌのところへ

頼みに行ったものなのです。

結局、ナポレオンは自身の子供が望めない、という理由でジョゼフィーヌとは離縁しましたが、

そのかわり、彼女には何不自由ない生活を死ぬまで保証していました。

やはり、ナポレオンは優しくておおらかなジョゼフィーヌを愛していたということです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

テレジアとジョゼフィーヌは獄中では仲良しでした。

その後も仲良くしていました。

しかし、昼と夜を作る、とほめたたえられたテレジアも

その栄光はナポレオンが世に出るまでのほんの短い間で

あとは内心バカにしていたジョゼフィーヌの世の中になってしまっていた、ということなのです。


革命期に実在した男装の麗人  テロワーニュ・ド・メリクール [ちょっとした考察]

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フランス革命の男装の麗人といえば、ぱっとオスカル!って連想すると思いますが、

彼女は架空の人物。

でも今日は、フランス革命期にほんとうに男装の麗人が実在していた、って話をしたいなと思います。

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革命以前の旧体制のフランスは、カトリックの教えが人々の生活の奥深くまで

沁みとおっているそういう世界でした。

まさに、子供が生まれたらカトリックの坊さんに洗礼を施してもらい、

12歳ごろになると、堅信礼(一種の大人になる儀式。日本でいうところの元服みたいなもの)、

結婚するときも教会で式をし、

死ぬときは死ぬときで、終油の秘跡をうけ、告解してもらう、

教会の鐘の音を合図に仕事をはじめ、仕事を終えるといった、

生活のリズムができあがっていたのでした。

まさにゆりかごから墓場までカトリック教会に世話にならずには

生きていけない感じなのです。

ま、それはそれでよいのですが、

カトリックには純然たる身分の差は当然というか、自明の理だと認められていました。

人間はそれぞれ自分の身分にしたがって、分をわきまえて秩序正しく生きるのが

人としての道だったのです。

身分とはどのように考えられていたのでしょうか?

今なら身分の差というのは、もともと、その土地の征服者と被征服者の違いだろうと思えるのですが、

当時は違います。

世の中は神の恩寵が深い人とそうでない人がいて、

すごくすごく、神の恩寵が深い人は王冠を授かる運命にある。

つまり王様になれるわけですね。

これがいわゆる『王権神授説』なのです。

そして貴族もそういう恩寵深い人なのです。

じゃあ、第三身分の人、平民はどうなのかというと、神の恩寵があんまり深くない人です。

こういう人たちは神の恩寵から離れているので、王族・貴族よりずっとずっと

能力も低く、容貌も醜く、心根も賤しいものなのだ、とみなされていました。

これねぇ、酷いよね。

貴族って栄養状態がいいから、背も伸びるよね。いいからだしていたと思うよ。

明治時代の人と現代人を比較してごらんなさいよ。

いまの人のほうがダンチにでかいじゃないの。それは栄養がいきわたっているからよ。

革命前の貴族は、ハチでいうなら、ローヤルゼリーを与えられて生きていたようなもんよね。

さしずめ、民衆はみな働きバチよ。

それに、もともと骨格が貧弱なところへ働きづめにしてりゃ、どうしたって

老けるのが早いわね。農民なんて10代の一時期だけよ、若いって感じられるのは。

お肌もかさかさしてるし、お風呂にも入らないから汚いわよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ともかく、このような無知蒙昧な輩を教え導くことが、領主たる貴族の務め。

まぁ、これは建前だよね。

そんなあなた、命をかけて領民を守ってくれる貴族サマがどこにいたっていうの!

領主はいざとなれば、領民のために命も辞さない覚悟を決めて生きていかねばならないかわり、

領民はそういう精神的な重圧から逃れているのだから、分をわきまえて

よく働いて年貢を納めることが肝要とされていたのです。

そう、年貢だけは必ず持っていかれるんだよね。

もう、領主サマに収める年貢やら、教会への年貢やら、なんやらで

もし、10あったら、1手元に残ればヨシとしなきゃならないほどだったのね。

それなのに、特権階級は税金を納めなくてもよかったんザンスのよ~~。

きぃ~、いったいなんなの!!

なんていうのか日本の士農工商みたいな身分制度だったんですね。

百姓は生かさず、殺さずってことば、フランスの農民にもぴったり当てはまるよね!!

第三身分の人々が他の身分に立ち混じれるところはどこでしょうか…?

そうそう、軍隊とか教会ですね!

ですが、こういうところはどんなにすぐれた人でも

身分が低いと上に上がることはないのですね。

反対に貴族だったら、どんなにボンクラでも結構高い地位につくことができるのです。

いきなり大尉からスタートとか

あるいは子供のくせに司教とか。

その代わり、どんなにインテリでも第三身分だったら、村の坊さんどまりとか、

軍人なら本当に頭が切れて、すごく努力したとしても大尉(これだけでもかなりすごい)とか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

うう、ほんとうに考えるとひどいわぁ。

そこで今日のこのテーマを考える上で重要なことがあります。

カトリックの教義によりますと、女性の男装は「罪」でありますのよ!

あのフランス救国の聖女ジャンヌ・ダルクもたしか、

最後宗教裁判にかけられ、魔女と断罪されましたが、

その罪の中のひとつに「性を逸脱して男のような恰好をして戦いに挑んだ」

のがあります。

ですから~、さしずめオスカルさまは、本当に実在したアンシャン・レジームのフランスの世の中では、

絶対に絶対に絶対に、軍人なんかになれなかったということです。

あれは、まぁ、フィクションなんですよ。

つまり当時は、女性はどんなに優れていても、

男性の活躍する領域には、

少なくとも公式には入れてもらえなかったということです。

(どさくさに紛れて、一緒に戦争に行くのはアリだった)

今日お話しするテロワーニュ・ド・メリクールさんと言う人もそういう

男のダブルスタンダードで人生をめちゃめちゃにされた女性の一人なのです。

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フランスで18世紀末に革命が起こりました。

これまでの体制では、どんづまりで

二進も三進もいかなくなったからです。

もともとルイ16世が即位するときにはすでに財政の危機は訪れていたのでした。

おじいさんのルイ15世は美男で有名ですが、もう政治とかなんとかはそっちのけで

女道一本槍という人です。

彼の庶子はなんと60人以上もいたということですから、そのすごさがわかろうかというものです。

でルイ15世は常々「私が生きているうちは何とか持ちこたえるだろうが…」とはいっていたものの、

緊縮財政をするでもなく、使いたい放題だったんですねぇ。

もう世の中行くところまで行ってしまっていたんですよ。

ルイ16世はそれでもなかなかの名君だったらしいのですが、

時代の波は彼の方には向いていかなかったようです。

この革命はもともと政治形態やら、社会のシステムなどを変えるという目的もあったのですが、

既成の概念を全部ぶっ壊して、新しくて理想に満ちたものを再創造しよう!という

考えようによってはなんかめちゃめちゃロマンティックというか、おめでたい側面もありました。

一番代表的な例はメートル法です。

今も世界水準で当たり前につかわれていますよね。

で、さきほども申し上げましたように、ガチガチのカトリシズムだったフランスも

革命のおかげで「ライシテ(宗教の世俗化)」が進み、

離婚する自由や、宗教を信じない自由もできてしまったのです。

本当は国王が逃亡しなけりゃ、イギリスで国王がその頂にいる

イギリス国教会ができたように、フランス国教会ってものができただろうに、

フランスはいきなり無宗教化していくのですねぇ。

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7月14日、バレ・ロワイヤルでカミ―ユ・デムーラン(ベルばらのベルナール・シャトレの

モデルになった人・ロザリーの旦那様です)が民衆を鼓舞する演説をしました。

そこで民衆のハートに強い愛国心の炎がともり、みんな一斉にバスティーユ攻撃に向かうのです。

ここにひとりの女性がデムーランの演説を聞いて、陶然となっていました。

彼女こそ、フランス革命初期に活躍した革命家たちのアイドル、

テロワーニュ・ド・メリクールなのです。

彼女はもちろん平民、というか一種の高級娼婦でした。

彼女のパトロンとして一時期イギリスの皇太子もいたという話です。

ですが、彼女はほとほとこういう商売は自分に合っていない、と痛感していたのです。

もともと、彼女は聡明な人でこういう女という部分を武器にして生きていくのが嫌だったんでしょうね。

それでも天涯孤独の身、自分の身一つをたよりにして生きて来たのです。

デムーランの演説に心動かされた人々が共有したその場の友愛に満ちた雰囲気を感じ取って

すばらしい時代が来た!と考えたのでした。

で、テロワーニュがえらかったのは、そこで終わりじゃなくて、

もっと深く革命理念を知りたい、勉強したい、と思ったことだったのですね。

彼女の教養はどうにか読み書きはできる程度だったのです。

(当時、読み書きできる人はほとんどいなかったのでこれだけでもかなりエライのですが)

そこで彼女はヴェルサイユの国民会議場にまで赴き、

議員たちが何を話しているのか、直接聞きに行くのです。

今まで系統だった学問を収めたことがない彼女にとって国会が最初の学校となったのでした。

このとき、テロワーニュは、女の恰好をやめ、

乗馬服を着て、腰に一振りのサーベルと二丁の拳銃を下げ、

羽帽子をかぶっていったのです。

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彼女は高級娼婦をやっていただけあって美人だったし、

それにすらりと細身でスタイルもよかったので、

実に男装が似合っていたのだそうです。

そしてたちまち、革命家たちのアイドルとなったのですね。

ただ、彼女の場合、あまりにそれがサマになりすぎていて、有名になりすぎ、

ありもしないうわさが伝説化されて人の口から口へと伝えられ、

どんどんその虚像が独り歩きしてしまったのが、後々彼女を躓かせる元となるのですねぇ。

彼女は、国会の傍聴席に座るために、毎日毎日朝早くから列について並んでいたといいます。

初めは国会議員の演説も、論争を聞いても

何のことやらちんぷんかんぷんでしたが、

それでもマジメにノートを取り、国会に日参していたおかげで

しばらくしたら、本当に革命のことをきちんと理解できる人間になっていたのです。

これは本当に素晴らしいことですね!!

8月26日に採択された人権宣言。

「人間は自由なものとして生まれ、権利において平等である」

彼女はこの言葉を文字通りそのまま受け取りました。どんな人間も自由。権利において平等。

じゃあ、わたしもそうなんだ!って理解したところに彼女の悲劇があるのです。

それに、なまじっか他の男よりも聡明で、弁が立ったのですよ。

そのとき、彼女は「私は男と同等の能力がある! これから女を捨てて男として生きる!」

と決意するのですが、

世間じゃ彼女が女であることをかたときも忘れてはいなかったのですねぇ。

男の恰好できゃあきゃあコスプレしていたところまではみんなやんやともてはやしていたのですが、

理路整然とした口調で弁論するようになると、男どもは一挙に彼女を煙たく思ってしまう。

テロワーニュは、英国皇太子までお客にとるようなココットでしたので、

結構な財産をそのころ貯めていたました。

で、そのお金を使って、革命家たちのサロンまで開いてやるのです。

でもでも、男ってずるいんですよ。

ここまでテロワーニュに金銭面で世話になっていたくせに、

お金が尽きるとテロワーニュをかばってやろうという人間は現れなかったのです。

さて、一旦彼女は生まれ故郷のベルギーに引きこもって、

再びパリに現れたのは1792年。

革命の様子も最初のころとかなり様相が変わっていました。

以前はミラボーが中心となって立憲君主制を推進していましたが、

国王が国外に亡命しようとして失敗し、

国王の人気と権威は失墜してしまいました。

世の中はもはや国王を必要としておらず

共和制を望む声が高まっていたのです。

そして、革命をつぶそうとする諸外国との戦争の機運が高まっていました。

彼女は女性も武器を取って、男性と一緒に戦うよう、みんなに呼びかけます。

「女性市民のみなさん! 私たちの献身的行為によって、敵の策謀の意図を断ち切ることができます。

武器を取りましょう。私たちにはそうする権利があります。フランスの女が18世紀の光明に

少しも遅れをとっていないということをヨーロッパに示してやりましょう!」

素晴らしいですね。テロワーニュ。こんなことまで言えるようになったんだ…。

ですが、世の中の男は決してこれをこころよくは思っていなかったんです。

人権宣言の「人間」というのは、男に限った事であって、女は含まれていなかったのですね。

女は夫に従って、家事をやり、子供をそだてていればいいのだ!

う~む、男の本音が見え隠れしますね!

やはり、理想に燃えている世の中とはいえ、まだそこまで進歩的にはなれなかったみたいです。

ちなみに恐怖政治で有名なジャコバン党の領袖であるロベスピエールは

理想を追い求めるあまり、もうブルジョワ革命を通り越して、

ほとんどこれはプロレタリア革命というか社会主義革命みたいなとこまで

目指した人だと思うのですが、

そんな人でさえ、女性が社会に台頭するのは許せなかったみたいですね。

たぶん、その当時の彼らの女性に対する思いというのは、

その理想の最たるものは聖母、それも「スターバト・マーテル」悲しみの聖母

なんではないでしょうかねぇ。

つまり、男にとって「おふくろさん」っていうのが一番ありがたいもんなんでしょう。

利口ぶって男のようになってほしくない。

どんなに罪深い息子であっても慈しみ憐れむ母。

さかしらげに息子に理路整然と説教する母親とか女房なんていらないんですよ。

そっと後ろから抱きしめてほしい存在なんですよ。たぶんね―。

こういうのって、ロシアにある「聖痴愚」を信仰するのとなんか雰囲気似てますね。

昨日、007シリーズの「スカイフォール」みてましたけど、

ごっつい男、ダニエル・クレイグ扮するボンドをアゴでこき使うのは

小柄な女性上司のM。

国会の審議会の質問するのも女性大臣、答えるのもM。

みんな女性ですよ。

別にそれで卑屈になっている男はいませんからね。

まぁ、イギリスは昔から女王を輩出する国でしたから

そこらへんの耐性は伝統としてあったのかもね。

とにかく、フランスはサリカ法かなんかしらんけど、

女性は王にはなれないの。

フランス人っていうのは、なんかこう理想を追い求めるその純粋なまでのパワーもそうだけど、

いったん許せない!と思ったら、あらゆる汚い手を使って

女性革命家を追い落としにかかるのが本当に熾烈で残酷です。

あいまいなんが嫌いなような気がする…。

ある、女性革命家が

「女性だって、断頭台にかけられたりするんだから、

当然、男と同等の権利はあるんじゃないの?」

と食って掛かったのですが、やはり首だけはきっちり切られて、

しかも権利は認められないのですねぇ~。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最初は第三身分のものが一丸となってまとまっていた国会ですが、

今では比較的穏健であるとみなされているジロンド派と

理想を求めるあまりに急進的なジャコバン派の間で闘争が繰り広げられていました。

国家っていうのは、国内の福祉とかナントカに目を向ける面と

対外政策との両輪のバランスがとれてないととんでもないことになるんですねぇ。

ロベスピエールも平民の味方だとかなんとか言っていますが、

この人だって大学まででていますからね、貧しいとかいっても、やっぱりブルジョワには違いないのです。

でも、そうやってブルジョワ路線に走ると、民衆が黙っちゃいないのですよ。

とたんに暴動になって、クーデタが巻き起こってしまう。

とにかく、革命というたずなを引き絞るのが本当に至難のわざなのでありました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最初はテロワーニュの再登場にやんやと喝采が起こったのですが、

またもや、この二派の中で彼女は追い落としの材料として利用されてしまうのです。

彼女はジロンド派の一味だとして、パリの街の女たちに捕まえられ、

白昼の、それも公衆の面前で思いっきりひどい屈辱を受けることになるのです。

フランス革命っていうのは、高邁な理想を求めて人行われたこの上もなく

美しい行為でもある反面、

なんていうのかな、野卑な民衆がどさくさに紛れて、自分たちが妬ましいと思った人物を

血祭にあげる、っていうそういう卑劣なことも同時に行われていました。

美しくて、スタイルがよくて、聡明なテロワーニュの本当の敵っていうのは、

男じゃなくて、「なにさ、女のくせに男みたいなかっこしやがって。

なんであいつだけがあんなにきれいで凝ったブラウスなんかきてられんのさ!

あたいら、マジメに働いたって、一生そんな羽飾りの帽子なんかと無縁だね!

ハン!気取りやがって!」

とこのように嫉妬されるんですよね。

(女の嫉妬っていまも昔も構造は変わらないですね…)

そうやって下町の女たちは国会の入口でテロワーニュをヤジったのですが、

テロワーニュは毅然として、その女たちをにらみ返したのですね。

これがよくなかった!

態度が貴族的過ぎたんです。

目線が思いっきり高かったというか…。

すごくバカにされた、と思ったみたいですね。

女が五六人でテロワーニュひとりを羽交い絞めにして

彼女の後ろに回り込みテロワーニュのスカートをまくり上げ、

むき出しになったお尻を皆の前にさらしてさんざんに平手うちという

暴挙に及ぶのです。

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それを見ていた男たちはゲラゲラ笑うだけでテロワーニュを助けようとする者はいません。

たまたまそこを通りかかった通称「人民の友」であるマラーがそれを見て、

テロワーニュを助け出したのでした。

マラーはテロワーニュを慰めようと手を尽くしたのですが

可哀そうにテロワーニュは、ショックがきつすぎて何も言い返すことも

おこることもできず、ただ泣きに泣いていただけでした。

これが彼女が人前に姿を見せる最後になったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あ、ここでベルばらのオスカルさまを思い出してしまう。

彼女も、なんか似たようなことなかったですか?

あ~、そうそう!

フランス衛兵隊に赴任したばっかりのとき、

女だからってんで、アランたち衛兵のボイコットにあって、

夜中のヴェルサイユ宮殿の庭園でひとりでいるところを

男どもにさらわれて、あわや輪姦(失礼!)されそうになったような???

あれ、従卒のアンドレがすぐに気が付いて守ってくれたから事なきを得ましたが、

彼がいなかったら、やはりオスカルさまもテロワーニュみたいになってかも…。

とかく女の場合、屈辱を味合わせてやりたい、って思ったら、

そういう暴行を働こうとするじゃない、なんだかんだいって最後は。

卑劣よね~~。

テロワーニュには、残念なことに守ってくれるボディガードはいませんでした[右斜め下]

結局世間からも

「淫売のくせしやがって、革命家を気取って演説だと? 笑わせるな! ちゃんちゃらおかしいぜ!」

と一笑に付せられ、冗談で済ませられてしまうのです。

実は結構繊細な神経をしていたテロワーニュはこの泥まみれの屈辱に

耐えることができず、精神がおかしくなり、くるってしまったのです。

それから彼女は死ぬまでサトリペリエール婦人療養所で過ごすことになるのです。

享年55歳。

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晩年のテロワーニュ。
かつての美貌のかけらさえ
残っていません。悲しい

京大博物館 ② 「マリア十五玄義図の探求」展へ行ってきました。 [ちょっとした考察]

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この間、京大の博物館へ行って、

ウフィッツィのヴァーチャル・ミュージアム展のことについては

先に述べました。

でも、実はアレはタマタマ京大博物館にいって遭遇した僥倖であって、

本命は実はコチラだったのです。

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わたくし、昔からなぜか、バテレンとかキリシタンっていうのにとても惹かれるんです。

だから、「邪宗門」の詩も好きだし、もちろんカステラも好き。

(味そのものがスキと言う意味ではなく、その存在にとても惹かれるという意味で)

もともと、自分の家がクリスチャンっていうのもあります。

そして、高校生のときから、大の遠藤周作のファンでして

「沈黙」とか「女の一生(モーパッサンではない)」などを読んで

いつか、いつか、五島列島へ行ってみたいなぁと思っているんです。

(まだその夢は実現してませんけどね・・・・)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しかし、驚いたことに隠れキリシタンの里というのは、何も五島列島だけの

専売特許ではなかったのですよ!!!

京都にもほど近い、大阪は茨木にも隠れキリシタンの里は存在していたそうです。

その事実を知ったのは、実はこの展覧会ではなく、

若桑みどりさんの「クアトロ・ラガッツィ」を読んだときのことでした。

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国  (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国  (集英社文庫)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫



クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2)

クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫



内容は全くの小説という形式ではなく、そうですねぇ、塩野七生さんの

「ローマ人の物語」のような感じでしょうか。

文庫本で上下に分かれますが、なかなか歯ごたえのある本でしたよ。

そこで、知ったのは、キリシタン大名である高山右近がいかにすばらしい武将であったか、ということです。

知力もあり、武力もある。そして大名という高い身分でありながら、

驕り高ぶることなく、実に寛大な殿さまだったということです。

高山右近は変節漢ではありませんで、大友宗麟のように、自分の信仰のあり方をうやむやにしませんでした。

(だからといって、宗麟の態度ひとつで家族はもちろん、一族・郎党が露頭に迷うわけですから

 この時代変節漢であるということは、求められるひとつの身の処世術というか資質でもあったと思います)

で、右近はとうとう領地召し上げの末、加賀藩にお留め置き、最後は国外追放という仕儀になります。

歴史にif はない、とは申しますが、もし、右近が西軍についていれば

あれほど、無様な負け方はせず、

徳川幕府もありえなかったかもしれない、というほどの智将でもあったということです。

いわば、一つの時代のカリスマだったんでしょうね。

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ということで、よほど、右近が殿さまだった時代を茨木の人々は恋しいかったのでしょうか、

いつまでも右近のことを忘れなかったとみえて、キリシタンの信仰も捨てず、密かに守り通したらしいのです。

こんなに京都に近いのに、そんなことができたなんてすごいことです。

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この展覧会はそもそも、件の茨木の里の民家の屋根裏から、なんと1630年ぐらいに描かれた

「マリア十五玄義図」が昭和5年に発見された、というところからはじまるのです。

十五玄義というのは、キリストの生涯を15の場面に区切って絵で説明したものです。

昔の人は字が読めない人がほとんどだったので、カトリック教会なのでは

回廊などにその絵を一枚ずつ間隔をあけて、飾ったりしました。

裕福な信者は、来世の幸福を求めて、イェルサレムやサンチャゴ・コンポステーラ、あるいは

ローマなどへ巡礼したものですが、貧しい人はそんなお金もヒマもございませんので

こんなふうに回廊を巡ってプチ巡礼気分を味わっていたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とまぁ、そういうシロモノなのですが、それが茨木の民家で発見された、

それも本当に人目をはばかるように、屋根裏の梁のところに竹筒に入れられ保管されていたそうです。

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祖先がキリシタンであることも、まるっきり知らなかった子孫の人はどうしていいのかわからず、

とりあえず京大にこの絵を寄贈したのだそうです。

最初は、あまりに破損がひどいため、

かろうじて「キリシタン風の何かが描かれている」とわかるぐらいだったのですが、

今日ここまで、修復が出来て何よりですね。

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わたくしがこの絵をみて驚いたのは、下の中央に私達が必ず世界史で習う、

イエズス会士である、イグナチウス・ロヨラとフランシスコ・ザビエルが描かれていることです。

それも、ロヨラはともかく、ザビエルの歴史の教科書を知っている人なら

絶対にザビエルとわかるように描かれているということです。

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描かれている文字もラテン語ではなく、ポルトガル語だそうです。

そして、今回京大の調査でわかったことだそうですが、

描き方も日本画風にニカワを使って描かれたものではなく、

きちんと西洋風に卵を使ったテンペラ画なんだそうです。

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すでに禁教となっていた日本へ真理(彼らにとっては)を伝える熱意に燃えて

やってきたイエズス会士。

イエズス会の人々は、ほとんど貴族というか武門の出で、

なにもはるばるこんな世界の果てまで、どうしてきたんだろうか…という

感慨に打たれます。

まぁ、信仰に篤いということもあったんだろうけど、

実はロビンソン・クルーソーみたいに世界を旅したい、冒険野郎どもだったのじゃないか

というのが真相なんでは、と密かに思ったりもします。

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京大の展覧会はもうすでに終わってしまいましたが、

茨木にはキリシタン博物館があるそうなので、そっちへいってみるのも

おもしろそうです。

あ、最後に売店でパンフレットみたいな小冊子を500円で購入したのですが、

な~んと、知の殿堂であるハズの京大のくせに、レベルは小学生中学年向き…。

どんな人にでも解りやすく、というのをモットーにしたのかもしれませんが、

もうちょっと大人向けでもよかったんでは・・・と思いながら帰路についたのでアリマシタ☆


007はお好きですか? [ちょっとした考察]

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みなさん、スパイ映画は好きですか?

わたくしは断然この手の映画が好きですね。

最近、ダニエル・クレイグがボンドに扮してから

なおさら007シリーズが好きになりました。

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なんたって、007シリーズは派手なアクションという魅力もありますが、

必ずボンド・ガールという美女が登場し、

これまたお約束のように、ゴージャスなパーティ・シーンがある。

筋骨隆々とした立派なボディにタキシード、

美女はめりはりのきいた体に沿うようなソワレをお召しになり・・・・と楽しい。

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ゴージャスなホテルに、ゴージャスな車、ゴージャスなロケーションと結構、優雅な気分。

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この間、朝日新聞を読んでいたら、

歴代の007を演じていた男優さんおよび、

その作品についてのコラムがありました。

ルパン三世の原作者であるモンキー・パンチさんとか、

あと、何人かの007に強い影響をうけた6人ほどで、

何が一番好きか、などを討論したものでした。

で、みんな一様に一番好きなのは「ロシアより愛を込めて」でした・・・・。

なるほど、なるほど。

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次はだいたい「カジノ・ロワイヤル」だったかも

今のボンド、ダニエル・クレイグですね。ま、これも納得できるところです。

007と聞いて、「ロシアより愛を込めて」と連想行きがちですもんね。

それほど、スパイとしては傑作だったのだろう、と思うのです。

青池保子の「エロイカより愛を込めて」っていう漫画まであるものね。ウン、

今日、夫サマと「007」と聞いてすぐに脳裏に浮かぶ顔って誰?と話あっていたら、

「やっぱりショーン・コネリー」だろうねぇ。

とはいえ、わたくしたち実際にはでっかいスクリーンでショーン・コネリーをみたわけじゃない。

最初は超低予算映画の「ドクター・ノオ」から始まったんですね。

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でも、「ドクター・ノオ」って聞き馴れなくって、

「そんな作品あったかな?」と思っていたら、

実は当時、「ドクター・ノオ」というタイトルではなく、

007は殺しの番号」という邦題がついていたのですね。

ああ、どおりで聞きなれないわけです。

ついでに言えば「ロシアより愛を込めて」も

最初は「007危機一発(一髪ではない)」という邦題がついていましたが、

いつのまにか「ロシア・・・」のほうが人口に膾炙されておりましたとさ。

「ロシア」のほうがタイトルとして秀逸だわね、ロマンティックだしね。

だいたいね、今じゃ007のことを「ダブルオー・セブン」と普通にいうけど、

昔は「ゼロゼロセブン」といっていた。

ところで、わたくしが子供の頃からなんとなく、

その存在があったことはわかっていたけど、

はっきりと「この映画がすきだ!」と自覚したのは

たしか、高校か大学生のときに見た、「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」。

これはショーン・コネリーがもう一度なつかしのボンドに戻ってという、

ちょっと番外編みたいな映画。

コネリーが実はハゲ親父だったとカミング・アウトしたのもこの映画の時だったと思う。

でも、世間では「却って人間らしい、潔い。それにゲーハーでもコネリーはかっこいい。」

とかなり好意をもって迎えられたような気がするんですよね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、わかりやすいようにボンドの映画の表などを張り付けておきましょうか?

ヴィデオで見て一番笑ったのは、「007は二度死ぬ」。

これってわたくしが大好きな作家であるロアルト・ダールが脚本書いているらしいんだけど、

日本が舞台になるんだよね。

当時、日本ってアメリカから見て、こんな国だと思われていたんだなぁと思うと

一種の感慨がある。

しかし、どうキモノを着ようと、髪を真っ黒に染めようと、

絶対にショーン・コネリーは日本人にはなれないだろう・・・・と思いましたが。

浜美枝さんがボンド・ガールに選ばれて、

「国の誉れだ」みたいなこと、随分世間では騒がれていましたっけねぇ。

今の若い人たちって解らないだろうけど、

その当時の日本人の外国コンプレックスってそうとうなモンがあったんだろうと思う。

今は、別にフツーに長身で顔の整った人なんて、

日本人かどうかを問わず、アジア一帯に存在してますからねぇ・・・。

なんかそんな人種差別みたいなことも考えてしまいますねぇ。

ロジャー・ムーアのものはね、一度テレヴィで放映されていたのを観てたことがあったけど、

なんていうのかな、70年代の「科学万能主義」の気風が画面のそこここに漂っていて

その当時はハイセンスだったんだろうけど、今みると時代遅れもいいところ。

ほとんど噴飯もの、で見るに堪えなかった・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ドクター・ノオ(007は殺しの番号)

1962

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

アーシュラ・アンドレス

ロシアより愛をこめて(007危機一発)

1963

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

ダニエラ・ビランキ

ゴールドフィンガー

1964

ガイ・ハミルトン

ショーン・コネリー

オナー・ブラックマン

サンダーボール作戦

1965

テレンス・ヤング

ショーン・コネリー

クロディーヌ・オージュ

007は二度死ぬ

1967

ルイス・ギルバート

ショーン・コネリー

若林映子/浜美枝

女王陛下の007

1969

ピーター・ハント

ジョージ・レーゼンビー

ダイアナ・リグ

ダイヤモンドは永遠に

1971

ガイ・ハミルトン

ショーン・コネリー

ジル・セント・ジョン

死ぬのは奴らだ

1973

ガイ・ハミルトン

ロジャー・ムーア

ジェーン・シーモア

黄金銃を持つ男

1974

ガイ・ハミルトン

ロジャー・ムーア

ブリット・エクランド

私を愛したスパイ

1977

ルイス・ギルバート

ロジャー・ムーア

バーバラ・バック

ムーンレイカー

1979

ルイス・ギルバート

ロジャー・ムーア

ロイス・チャイルズ

ユア・アイズ・オンリー

1981

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

キャロル・ブーケ

オクトパシー

1983

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

モード・アダムス

美しき獲物たち

1985

ジョン・グレン

ロジャー・ムーア

タニア・ロバーツ

リビング・デイライツ

1987

ジョン・グレン

ティモシー・ダルトン

マリアム・ダボ

消されたライセンス

1989

ジョン・グレン

ティモシー・ダルトン

キャリー・ロウエル

ゴールデンアイ

1995

マーティン・キャンベル

ピアース・ブロスナン

イザベラ・スコルプコ

トゥモロー・ネバー・ダイ

1997

ロジャー・スポティスウット

ピアース・ブロスナン

ミシェル・ヨー

ワールド・イズ・ノット・イナフ

1999

マイケル・アプテッド

ピアース・ブロスナン

ソフィー・マルソー

ダイ・アナザー・デー

2002

リー・タマホリ

ピアース・ブロスナン

ハル・ベリー

007 カジノ・ロワイヤル

2006

マーティン・キャンベル

ダニエル・クレイグ

エヴァ・グリーン

007 慰めの報酬

2008

マーク・フォースター

ダニエル・クレイグ

オルガ・キュリレンコ

こうやって眺めてみると、ちゃんと劇場で見たのは、いつごろなのかな?

たぶんロジャー・ムーアのは全く記憶にないから、見てないと思う。

なんとなく、ティモシー・ダルトンのは覚えているから、

劇場で見てなかったとしても、ヴィデオかなんかで観てるんだろうなぁ。

ただし、この頃っていうか当時のわたくしって

ティモシー・ダルトンがいかにイギリス的な男前でかっこいいかっていうのを全く理解できなくて、

ただ「なんかすごくコワい顔したオジサンだ」とか思っていて

・・・・子供だったんですね。

というか、彼は目力がとても強くてそこが受け入れられなかったのかもね。

この間、「アガサ 愛の失踪」っていう映画を改めて見ると、

惚れ惚れするほど美男子。それに上品だしね。

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なんでこの人の魅力に気が付かなかんだろう?と思うんだけど、

ま、それはしょうがないやね。

あとは、ピアース・ブロスナンのボンド映画は結構丹念に見ているんだけど、

わたくしからみれば、プロスナンって良くも悪くもソツがなさ過ぎて、

あんまり印象にのこらないんだよね。何となく紳士服のモデルみたいな感じがするし・・・。

やっぱり、ダニエル・クレイグの「カジノ・ロワイヤル」が一番好きだったかな。

金髪の新ボンドって、従来のボンド像を覆す!って結構話題になりましたけどねぇ。

ダニエル・クレイグは、顔だけ見ていると、

歴代のボンドの中では一番イケテない顔だとは思うんだけど、

なんていうかな、彼には何となくボンドが感じているであろう、

「心の痛み」とかスパイとしての「虚無感」みたいなものが伝わってくるんだな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今は「007」シリーズじゃなくても、

トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」など結構カッコいい映画あるから、

007もしのぎを削って、アレコレと工夫しているような気がする。

今回「スカイフォール」も実は楽しみにしているんですのよ。

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せっかくですので、「ロシアより愛をこめて」の歌詞を訳してみました。

イギリス英語は難しいですね。 

From Russia with love I fly to you,
much wiser since my goodbye to you.
I've travelled the world to learn,
I must return from Russia with love.

I've seen places, faces and smiled for a moment,
but oh, you haunted me so.
Still my tongue tied young pride,
would not let my love for you show
In case you'd say no.

To Russia I flew but there and then,
I suddenly knew you'd care again.
My running around is through,
I fly to you from Russia with love.

ロシアより愛をこめて、君のもとへ飛んでいくよ。

君にさよならを告げたあと、僕はかなり大人になって

世界中を旅してそのことにやっと思い至ったんだよ。

ロシアから愛をこめて、

君のところへ戻らなければならないと、ね。

いろいろな場所や人々がほんの束の間、僕の心を慰めてくれた。

だからといって、ああ、君の存在はいっときも僕の心をつかんで離しはしなかった。

あのとき、君が僕の愛に応えてくれないことを恐れて、

青臭い矜持が、君に愛を語ることを許さなかったんだ。

それからロシアへ行って突然、天啓が閃いたんだ。

再び君が僕の事を気にかけてくれているって。

これで、僕の女遍歴は終わりだよ。

ロシアから愛を込めて、君のもとへと飛んでいくよ。


芸術とメソッド そして幼児教育について考えること [ちょっとした考察]

昨日、こんな本を読みました。

「ユカリューシャ」

ユカリューシャ―不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ (文春文庫)

ユカリューシャ―不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ (文春文庫)

  • 作者: 斎藤 友佳理
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/11/10
  • メディア: 文庫


東京バレエ団のトップダンサーだった斎藤友佳理さんがお書きになった本です。

わたくし、実は斎藤さんが現役で踊っている舞台は何度も何度も見ているんですよ。

でも、って実は当時、フランスを代表するバレエ・ダンサーであるシルヴィ・ギエムが来日するときは

必ず、その後ろに東京バレエ団が控えていたのです。

そういう東京バレエ団とカップリングして来日する場合、ギエムは必ず

ベジャールのバレエを踊っていまして、「ラシーヌ・キュービック」とか「エリザベート」とか

「ボレロ」などをソロで踊っていたんですね。

そして、その合間、合間に「春の祭典」とか「ペトルーシカ」みたいなのを

これまたベジャールの振付で東京バレエ団が踊っていたのです。

群舞としてベジャールのバレエは、女性じゃなくて男性のダイナミックな踊りがメインになりますので

斎藤さんがチュチュを着て、感情表現が非常に難しいとされるオデットとかジゼルを踊っているのを

見たことがなかったんですね。

この本を読んで、「ああ、失敗した」と深く後悔しました。

ベジャールの振付というのは、音楽を重視して人間の心の葛藤や歓びを表現する踊りがあって

ストーリー性はあまりないような気がするんですね。

ですから、斎藤さんが現役のとき、彼女が最も得意とする登場人物になりきったかのような

ドラマティックで繊細な踊りをついぞ見ることがなかったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、わたくしはバレエが大好きで、

最も多いときにはツキイチぐらいでバレエを観劇していたこともありました。

マイヤ・プリセツカヤの踊りも熊川哲也の踊りも観ています。

最近は不景気なので、もっぱら外国のダンサーも東京にばかり来ているようで、

大阪にはなかなかきてくれません。

(京都はそもそも、本格的なバレエを踊れるところがない)

大阪の淀屋橋にあるフェスティバルホールも新しくなったことだし、

今後に期待したいところではありますが・・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この本を読むと、どんなに幼少時代の友佳理さんが

感受性が人一倍強い少女だったかっていうのがわかります。

いつもうっとりと夢の中に使っていたような幼児時代―。

それを阻むこともなく娘の友佳理さんをそっとほっておいてくれた両親。

どちらもすばらしい感受性だと思います。

昨今の教育ママはゼロ歳児から英才教育にはしり、

当の乳児のほうは、乳児である故、拒否することもできず、

気が付いたら、生きる意欲を失って、まだ幼児でありながら

深いウツ病に陥っているってケースをよく聞きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

友佳理さんの場合は、人生の早い時期にバレエが大好きになり、

バレリーナになることを心に決めていますが、

たいていの人はそうじゃない場合のことが多いですよね。

それは恥ずかしながら、ウチの子供たちの場合にもあてはまりまして、

わたくしの長女の場合、なんとなく幼児時代が斎藤さんを彷彿とさせるところがあり、

若干3歳ぐらいで「私は大きくなったら絵描きさんになるんだ!」といって

ず~っと今日まで生きてきた子供です。

途中で「あ、やっぱり〇〇になりたい」と決心を翻すことなんて一度もありませんでした。

それに引き替え、長男は〇〇になりたい!という強い欲求はありませんでした。

でも、とにかく幼稚園時代は泥団子を捏ねることだけ、三年間ひたすらやっていた子で、

卒園まじかにわたくしたち両親にくれた小さいお団子はそれはそれは見事な球形をしておりまして、

とても5歳の園児が捏ねたものとは思えないほどの完成度です。

今でもリビングに飾ってありますが、ヒビひとつ入っておらず、わたくしの宝ものです。

このお団子はいわば、長男の「生きる喜び」といおうか「生きる意欲」の現れなんだと

今にして思うんですね。

こういう意欲こそが、人生の先々に待ち受ける艱難辛苦をしのいでいけるキーになりえると

最近思えたりして・・・・。

ところで、どうも斎藤さん一家は、身体能力が高かったみたいですね。

お兄さんは、スピードに体を預けることが快感だったみたいです。

しばらく、江の島で暴走族をやっていたあげく、最後には旅客機のパイロットとなられたのでした。

人はそれぞれってことです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

斎藤さんの人生は前述したユングの共時性じゃないですけど、

偶然がいっぱいある人生です。

でも、それも結局は斎藤さんの強い思いがそれを引き寄せているような気がするんですけど。

彼女はまぁ、お母さんがバレリーナでなおかつ、正統ではないバレエメソッドがいまだに跋扈している

日本を憂えて、きちんと正式にロシアのワガノワ・メソッドを勉強して教師の資格を取った人なんですね。

わたくしね、これは大事、と思いますね。

自分の経験をもとにしていいますと、わたくしのピアノ人生は間違いだらけでした。

そもそも、正しい弾き方というものを教わっていなかったんですから。

こういうクセは一度ついちゃうと、矯正するのが本当に難しい。

ですから、将来、これを読んでおられる方で、小さい子供をピアノやバレエなどを習わせたい、と

思われる方がいたら、その先生の経歴をじっくり考えてみる必要があるかも?ですよ。

別にプロにさせる必要はありませんが、正しい教育は必要です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ただね~、バレエにしろ、ピアノにしろ、はっきりいって上手になるには

やっぱりそれなりに時間と労力が必要なんですよ。

だいたい、ピアノのうまい子っていうのは知能指数が高いという報告がありますし・・・。

別にバレエやピアノをさせる必要はないと思いますが、親しませる、ということは大事だと思いますね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

話が紆余曲折してしまいましたが、

彼女はまだロシアがソ連だったころ、何度も何度もモスクワへ短期留学しているんですね。

そして、ボリショイの大スターであったところのニコライ・フョードロフと出会うんです。

彼と斎藤さんは年が17歳も離れていて、はじめニコライさんのほうは

「外国人の小娘で満足にバレエも踊れないヤツ」ぐらいに考えていたのですが、

だんだんと斎藤さんの中に、ただものではない才能が隠れていることを見抜き、

だんだんと惹かれて行ったみたいです。

ニコライさんは、風貌や踊りの雰囲気がイギリスへ亡命したヌレーエフに酷似していたため、

亡命のおそれあり、と当局ににらまれるのをなにより恐れいていたそうです。

彼は自分の親兄弟を何より愛していたので、亡命する気なんてサラサラなかった。

だから、迂闊に斎藤さんに「愛の告白」なんてできなかったそうです。

もし、モスクワでそんなことをしたら、二度とユカリにも逢えず、日本へいくことすら

ままならないかもしれない。それをニコライさんは危惧したんですね☆

ソ連時代はそこに生きる人々は大変でした・・・・。

あるとき、何気なく「日本へ今度行ったら、ユカリのご両親に話したいことがある」とだけ

斎藤さんに言ったそうです。

それで、斎藤さんは何かバレエに関する話だろうと気軽にご両親にニコライさんを引き合わせたところ、

「私はユカリと結婚する」といきなり爆弾発言。

本人にプロポーズもなく、意思の確認もなく、いきなり断言です 笑

でも、斎藤さんもそれとなくニコライさんの好意には気が付いていて

・・・・気が付いていたのですが、そのとき二十歳。まだ、結婚には早すぎますよね?

しかし、紆余曲折のすえ、二人は結婚します。

で、エライな、と思うのが夫のニコライさんで、

彼は一度結婚していたんですが、同じダンサー同士の結婚で一度挫折を味わっているんですね。

だから、ユカリを育てるために、自分はまだ早すぎる引退を決意するんですね。

ユカリューシャっていうのは、ニコライさんが斎藤さんのことを親しみを込めて読んだ愛称で

いわば「ユカリちゃん」っていう意味なんですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

斎藤さんは、バレエに関してはほかにひけをとらないほど情熱をもっているんですが

でも、わりと他のダンサーにありがちな「何よりもダンサーが優先」ってこともないんですよね。

最初、無理がたたって、流産して、次の子をみごもったとき、

「絶対に流産したくない!」の一心で、バレエ活動を一切やめちゃうんですよ。

それから、再起不能といわれた大けがをしたりといろいろと波乱万丈なんですが

いつもいつも、夫のニコライさんや両親、義理の両親、そして息子の愛が彼女を支えてくれるんです。

なんか読んでいて、「美しいなぁ~」「美しい夫婦愛だなぁ~」「美しい親子愛だなぁ~」と胸が熱くなります。

もちろん、人一倍努力あってのことなんですけどね。


漂白する魂、王冠を被らせられた野生児   カイゼリン・エリーザベト    [ちょっとした考察]

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最近、オーストリア、ハプスブルグ皇妃、エリザベートに関する展示が多いですね。

わたくしも、なんやかんやとオーストリア関係の本、読むことが多いです。

皇妃様はエリザベートとふつう表記されますけど、本当はエリーザベトと発音するのが

正しいようです。

だから、表記は今回、エリーザベトで・・・ 笑

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ま、ここでは幼少からのニック・ネームであるシシィで統一しましょうかね。

シシィは今でこそ、「ヨーロッパ一の美貌の持ち主」とか「ハプスブルグの美神」とか

褒め称えられていますけど、生前はあんまり評判はよくなかったんですよ。

皇帝のフランツ・ヨーゼフはなんていうのかな、

イメージとしては明治天皇のような感じで国民に人気があったのですが、

シシィのほうは年がら年中、ヨーロッパのあちこちを放浪している

エキセントリックな皇妃として有名で、一名「機関車皇后」とも呼ばれていました。

いつも「ここではない、どこかへ」と口ずさんでいたそうです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

思うに、彼女は皇室とか王室とか女王とか

そういう儀式ばった、体面というか、人工的な形式というものに

一番縁が遠い人だったのだと思いますね。

シシィはこう、ウンディーネというかニンフというか

そういう何かの精のような人だったと思うのです。

生まれ育ったところが、湖のほとりのロマンティックな場所。

人によってはな~んてひとけのない寂しい場所だろうと思うでしょうね。

でも、シシィにとっては生まれ育ったその場所が一番落ち着いて、安心できた場所なのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

彼女のお父さんとお母さんは近親結婚でどっちもビッテルスバッハ家の人だったのです。

お母さんは本家の王女だったので、分家の公爵の家に嫁ぐのはイヤだったみたいです。

格下ですからね、公爵サマといっても。

他の姉妹たちはみな王家に嫁いでいますから。なんで自分だけがという不満があったみたいです。

お母さんは実は双子の妹でして、

片割れの姉のほうは・・・・実は未来の夫であるフランツ・ヨーゼフの母親なのですよ。

ね、びっくりびっくりでしょ~?

こんなに血が濃いんですよ。従兄弟同士の結婚といってもね。

脇道にそれましたが、

そんなわけで、お父さんもお母さんも美男美女でラブラブでもよさそうなのに、

はじめっから、めっちゃくちゃ夫婦仲は冷えてまして、

お父さんはお母さんと結婚する前に何人もの愛人をもっていて、しかも子供がいたので、

お昼は「自分のプライベートな家族」のほうを優先して、その人たちと一緒にすごす、ということでした。

・・・・お貴族サマの暮らしって、現代の庶民のわたくしたちには考えられないことが多いですね。

ただ、シシィにとってラッキーだったのは、

お父さんの公爵サマは、わりあいとリベラルな思想の持ち主で

もちろん、公爵という身分にしては、という前提なんだけど、

わりと彼女とお父さんとはウマがあっていたみたいで、

それが本来の彼女の長所を伸ばす一助にもなっていたみたいです。

シシィが公爵令嬢にあるまじき所業をしていても

別段目くじらを立てて怒るということはなかったらしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、当のシシィですが、彼女は小さい頃は「全く美しくない」と両親にも

周りの人にも思われていたんです。

本当の美女になる子って意外と小さい頃は可愛くなかったりするもんなんですが

彼女もどうもそのケースみたいですね。

だいたいにしてすごくやせっぽちで、子供らしいふくよかさっていうのに欠けていたらしい。

当然、シシィも自分が将来「絶世の美女」になるなんて夢にも思っていなかったでしょう。

でもね、彼女にしてみれば自分の顔が美しかろうと、そうじゃなかろうと、別にどうでもいいことだったんです。

彼女は一日中、自分の顔を鏡に映して

「アタシってカワイイ?」って媚びを売ってるような女の子じゃなかったんですから。

彼女は、父親譲りのアタマの良さと鋭い感性、そして高い身体能力もち、

そしてこれは彼女が持って生まれた先天的なものだと思うのですが、

ナイーヴでフラジャイルな気性の持ち主だったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

彼女は美しい自然を見て、詩を書いたりするのが好きな少女で、

そして馬に疾走させて、髪を風になびかせながらそのスピード感を楽しむような

ちょっと一風変わった女の子でした。

やっぱり、ギリシャ神話の中のディアナかなんかのような、そんな感じがしますね。

一種の野生児だったんです。

彼女はたぶん、真珠や宝石で作られた宝飾品よりも

太陽に照らされてきらきらと輝いている川の石のほうがキレイだと感動するような人なのです。

そんな人がどうして、王宮生活やマナーなどになじめることができるでしょうか?

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彼女の悲劇は、姉のヘレナのお見合いの場所へ同乗してしまったことから始まります。

実は、母親同士、このお見合いは事前にお膳立てされていたのです。

ヘレナはもともと、フランツ・ヨーゼフへ嫁にやるつもりでたんと仕込まれた娘だったんですよね。

シシィは、さいしょっから問題外で、はっきりいって周りの大人からほうりっぱなしで育った子です。

両親からみれば、シシィなんぞは器量は悪いし、アタマもわるい、女の子のくせに日柄一日、

馬に乗りまわして、野山を駆け回っているはねっかえりだし・・・・。

でも、まぁあの子もたまにはかまってやって、世の中にはこういう華麗な世界もあるってことを

見せておいてもいいかもしれない、と思うのですね。

思えばそれが運のつきでした。

なんと、プリンスは宮廷にはゴロゴロいそうなヘレナタイプの女性は、食傷気味だったんでしょう。

そういうわけでシシィは新鮮だったんです。

人に媚びへつらったこともない、それでいて夢見るようなまなざしがとりわけ

フランツ・ヨーゼフの心を惹いたといわれています。

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そのときシシィわずか15歳ぐらいのことだといわれています。

物見遊山でキレイでしとやかな姉のあとについてきた、

イモ娘のほうが若い皇帝のハートを掴んだのですね。人生って皮肉なものです。

でも、シシィの兄弟姉妹ってお父さんとお母さんが美男美女なので、

どの人も遜色なくキレイなのですよ、実のところを言えば。

わたくしの目からみれば、二人とも実に容貌がよく似て、どちらもホンモノの美女です・・・。

いつもなら母親のいうことは絶対に従うフランツ・ヨーゼフはこの時ばかりは

自分の意思を押し通しました。

「絶対に、絶対に、シシィがいい」

「やめときなさい! あんなじゃじゃ馬の娘のどこがいいの!」

「いや、シシィは実に魅力的じゃないですか」

「フランツ、あの子はやめときなさい。皇妃という柄ではないですよ。

 将来、おまえが苦労します。それにシシィも皇妃になれば苦しみます」

とこのように散々諌めたのですが、効き目なし・・・・。

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こうやって、シシィは自分の意思とは関係なく、

皇帝フランツ・ヨーゼフに強く望まれて皇妃になる道を歩んでしまうのです。

シシィとすれば、若い皇帝からぜひに、とプロポーズされれば、女ですから当然悪い気はしなかったでしょうが、

従兄弟である皇帝には好意は抱いていただろうけど、

それはたぶん「恋」とか「愛」とかいうものではなかったろうと思います。 

彼女はまだまだ子供だったのですね。

皇妃になるということがどんなに大変なことか。

しかし、立場上、皇帝からのプロポーズは断ることができません・・・。

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こうやって、嫁入りしたのですが、人々がじろじろとシシィを見て

世慣れない彼女は疲労困憊してしまいます。

それに、結婚の本当の意味を全く知らなかった彼女は

夫婦生活を泣いて暴れて拒み続けたそうです。

そこらへんはモーパッサンの「女の一生」のジャンヌを彷彿とさせますね。

昔はたいてい、高貴な人の結婚というのは恋愛じゃない。でも、そういったものは焦らなくても

少しずつ夫その人にも慣れて夫婦間の情愛を育てて行けば、自然と成就するものなのです。

しかし、最悪なのはそういった夫婦間の実にプライベートな部分である絶対に人には見られたくない

場面をしっかりのぞいているおつきの人間がいるってことだったのです。

で、朝になると姑である皇太后ゾフィーの耳にちゃあんと昨晩のシシイの行状が知れていて

しっかりと「皇帝を満足してお慰めできなかった」といって叱責されちゃうのですね。

で、シシィの抵抗もむなしく、コトが成就できた朝、やっぱりそのことがショックで

彼女はベッドから起き上がることができない。

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皇帝はそんな彼女の繊細な心が理解できないので、さっさと自分だけ身支度をして、出て行ってしまう。

シシィは自分の身に起きたことがあんまりにも猛々しくて、恥ずかしくて、おつきの女官に

そっと「コーヒーを持ってきて頂戴」と嘆願する。

今日一日くらい、自分をそっとしておいてほしい・・・・・。当然ですよね。

しかし、宮中とはそういう身勝手は許されません。

ただちに朝の正装をなさって、朝餐のテーブルに着くように、と厳しいお達しが。

シシィにしてみれば、昨晩のことはみんなに知れ渡っているのです、そんなところに

みんなから興味津々の目つきでジロジロみられるのは、耐えがたいのです。

しかも、守ってくれるはずの夫はそばにはいない・・・・。

針のムシロ状態ですね、まさに。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

フランツ・ヨーゼフは決して悪い人間でもなく、

シシィを単なる一時の気まぐれで皇妃に選んだわけでもないのですが

小さいころから皇帝になる人間として躾けられ、帝王学を学んできた人間なのです。

これがアタリマエ、と思っている人には、

なかなかシシィの心情を理解することは難しかったのでしょうね。

宮廷のマナーはことのほか厳しく、二人が夜のベッド意外で親密にすることすら

許されなかったらしいのです。

宮殿のすぐそばに劇場があったのですが、そこへ夫婦連れだって歩くのも憚れるとのことで禁止。

フランツ・ヨーゼフは日中、執務室にこもって仕事をしていますから

そこへ皇妃といえども勝手に入ることは許されません。

ですから、少しでもいろんなことでお互いに理解しようと思っても、できない状態なのですね。

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まぁ、それでも若い二人には子供が次々と生まれるのですが、

これがまた、生まれたとたんにシシィは実の子供を抱かせてもらうこともできず、

ぜ~んぶ姑ゾフィーに取り上げられちゃうのです。

・・・・・なんか、ほとんど子供を産むためだけの道具ですよね、これじゃ。

長男のルドルフを産んだ後、彼女は自分の勤めは果たした、と思うのです。

しかも、当時の男にはよくあることなのですが、

皇帝も若いせいか女遊びが激しかったらしい。

潔癖なシシィはそのことが絶対に赦せなかった。

「どうして、そんな汚らわしいことを複数の女を相手にすることができるのですか?」

「据え膳食わぬの男の恥」とか「男の甲斐性」とかいっても

シシィは泣きながら、怒ります。

「陛下、わたくしは陛下の何なのでしょう?

 陛下はルドルフの母方の血筋としての可能性だけを考えられてわたくしと一緒になられたのですか?」

と、シシィはだんだんと心を病んでいくのです。

しかも、オーストリア・ハプスブルグ帝国は代々カトリックですので、

離婚することは許されません。

夫からの愛はすでになくなった。しかも、子供を産んだ後、自分は子供を育てることはおろか、

自由に会うことすらかなわない。

こうなった以上、わたくしには人間として何の存在価値があるというのだろう。

無価値・・・・。

このくびきから解放されるには、自分の死しか逃れる術はない。

シシィは思いつめます。

で、20歳の頃、心身の衰弱が激しくなって、本当に死にそうになるのです。

シシィは誰からも顧みられることもない、ウィーンの宮廷の中で死ぬのだけはいやでした。

死ぬにしろ、意地悪な好奇の目にさらされて死ぬのだけはいやだ。

ここではなく、どこか遠く、ひと目につかないところでひっそりと人生の幕をとじたい。

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ということで、彼女ははるか遠く、マデイラ島まで赴くのです。

そうとう心に受けた傷は深かったと見えます。

転地療養がウィーンでの重責を忘れさせてくれたのか、シシィはマデイラで健康になるのです。

マデイラ島は、イギリスの戦艦が必ず寄港するところでした。

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始めは気のせいかとおもっていたのですが、散歩をしている自分の姿をみるイギリスの兵隊の目が

なぜか熱く感じるのです。

それはウィーンで感じた嘲笑を含んだ眼差しとは、はっきりとちがっていました。

やがて、シシィはそのイギリス人たちの食い入るような視線の中に「賞賛」が入っていることを

はっきりと自覚するようになったのです。

イギリス人たちはまさか、こんな遠い島にウィーンの皇妃がいるなどとは知りません。

貴婦人には違いないだろうけど、もっと身分の軽い人だと思って

気楽に近づいて来ます。

「なんて美しいんだ、あなたは」

「こんなに美しい人はみたことがない」

「まるで何かの妖精のようだ」

としきりに賛辞を浴びせられ、ほとんど女神のように彼女の前に額づいている男たち。

シシィははっきりとこの時、悟ったのです。

美しさは力なのだと。

そして、自分はその美をもっているのだと。

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ウィーンへ帰ったシシィは昔の怯えておどおどした小娘ではありませんでした。

はっきりと自分の美しさを自覚した威厳ある皇妃です。

これまで、どこかシシィのことを軽く見ていたふしがなきにしもあらず、といった体の皇帝も

改めて神々しいまで美しくなった皇妃に、こんどは自分がひれ伏さなければならないことを

悟るのです。

こうやって、美しさの絶頂の自分にヴィンターハルターに描かせたのが、あの超有名なエーデルワイスを

象った髪飾りを付けた肖像画だといわれています。

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視覚化した精神の美しさ  El Greco  [The Burial of Count Orgaz]  エル・グレコ「オルガス伯爵の埋葬」 [ちょっとした考察]

The Burial of Count Orgaz, by El Greco.jpg
 

さて、もうすぐ京都に「グレコ展」がくるそうです。

あ、スミマセン、間違えてました。大阪・中之島の国立国際美術館でした!

http://www.el-greco.jp/index.html←エル・グレコ展のHPです。

え~、グレコかぁ。あのぐにょぐにょしたカラダとキモチワルイ色彩の絵かぁ。

ちょっと見に行く気になれないなぁ~と一瞬思いましたが、

ちょっと待った!

うちなる自分の声が!

アンタ中学生のときグレコあんなに好きだったじゃない!どうして?

あああ~、そうでした。

グレコがすきな時期もあったなぁ。多感なジュブナイルの頃でした。

それはなぜかというと、グレコの絵は少女マンガばりに描かれた手が美しかったからです。

ちょっとごらんになってくださいまし。

どうです?美しいでしょ?しかもね、これ、全部男性の手ですよ?

爪の形までうつくしいでしょう?

最近のねーちゃんのデコ爪の手とはわけがちがいます。

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このような表現をなぜするか、といえばちゃんと理由がありまして

それはモデルとなる人物の内面を表しているんです。優美(グラシーア)というもので。

いわば視覚化した精神の美しさを表現したものなんですね~。

グレコは生涯、この「視覚化した精神の美しさ」を追求した画家だったともいえるそうですヨ。(受け売り)

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さてと、では、ちょっとエル・グレコとはどんな画家なのか調べてみましょう。

エル・グレコとは実はスペイン語でして、「ギリシャ人」というあだ名なんです。

本名、ドメニコス・テオトコプーロスは1541年、クレタ島のカンディアに生を受けました。

ちょうど時代は「ドン・キホーテ」の作者で名高いセルバンテスの時代、

スペインの絶頂期が過ぎて、傾いてきたころです。

クレタ島はかつてビザンチン帝国に属していましたが、一時期アラブに占領されたこともあり、

エル・グレコが生きていた時代はヴェネツィア共和国の傘下に入っておりました。

もともと、グレコ(便宜的に以下こう呼ぶ)はギリシャ正教のイコン画家だったようです。

ですが、こういったヴェネツィアなどの影響もあってか、いつしかイコン画家では飽き足らず、

イタリア・ローマに行って修行することになりました。

ローマへ行って、ミケランジェロをはじめとする数々の巨匠の作品を目の当たりにし、

感動に打ち震えながらも、それら先達の技術をスピリットを貪欲に学んでいきます。

しかし、ローマには新参者の外国人であるグレコに大きな作品を描かせようという

チャンスはなかなか訪れません。

しかし、スペインでは、フェリペ二世が新しくエスコリアル宮殿を建てるため、

その宮殿を装飾している画家を探しているという噂を聞きつけ、

一路スペインを目指すのです。

そして、描かれたのが、「聖マウリツィオの殉教」

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ですが、まぁ傑作なのですが、フェリペ二世は

「よく描けている。だが、この絵を前にしては祈る気になれない」

が~~ん、要するにお気に召さなかったみたいです。

この絵はローマのマニエリスム様式を駆使した入念な制作なのですが、

フェリペ二世はヴェネチア派のティツィアーノに心酔しておりまして、

グレコの良さを理解できなかったようです。

ん~、たしかに・・・。言わせてもらえれば、解説には「輝くような色彩」とよく書いてあるんですけど、

どうも、グレコの絵ってグレーと黄色が多くて、それを見ているとなんかいいようのない不快さって

ものがこみあげてくるのも事実なんですね。

それに、どういうわけか、肌の色もグレーっぽいしな。

筆触もちょっとイラっとさせられるものもあるしね。

というわけで同じテーマで皇帝はロムロ・チンチナートの凡庸な絵を選ばれたのでした↓

それがコレ。

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くじけかかったのですが、なんとか気をとり直し、

トレドで拠点にしてバリバリ頑張るのです。

まあ、時代は多少前後するみたいですが、

それでも初期の傑作といわれている「キリストの聖衣剥奪」を描いています。

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いや~、わたくしこの絵好きですね!

な~んて迫力ある緊張した画面。

マニエリスムなのかもしれないけど、きっちり長すぎず、

誇張されすぎないプロポーションがいいと思います。

そうです、わたくし画集を図書館から借りて眺めていましたけど、

グレコ、初期と中期の作品はとても好きですね!

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このマリアさまのお顔みてよ! 

女性の穢れない美しさの体現ですね。まさに聖母。

いやだなぁ~と思ったのは、後期の作品でした。

ぐちょぐちょ感の漂った画風。

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炎のようなゆらめく色彩、12頭身はありそうな引き伸ばされたプロポーション、

そして螺旋状に曲がりくねった蛇状曲線の人体。

マニエリスム的絵画なんだ、といわれればそうなのかもしれないですけど

あくまでグレコ独特ですよね。

こう書くと、エル・グレコはいかにもインスピレーションの画家なんだ、と思われるかもしれませんが、

意外や彼は実に博識な知性の塊の哲人画家だったんですね。

こういう風に描くのもそれなりにグレコ風の解釈があってのことなんだそうですが、

わたくし、別にそこまでスキじゃないので、深々と知りたくないですね↓

いいか悪いか、それは個人の好みの問題なんだ、と思います。

ま、人の好き好きにもよりますけど、

ルノアールも後期のボアボアした暑苦しい色彩よりも

初期のころのクールな色使いの作品の方が好きだし。

まぁ、人生いろいろ、作品もいろいろですね☆

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そして、グレコ中期の傑作といわれる

「オルガス伯爵の埋葬」を手掛けるのでした!

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これ、今みると本当に傑作ですね。

この絵はですね、描く前にすでに教会側から主旨が言い渡されていました。

① オルガス伯爵が埋葬されるとき、奇跡が起こり、聖アウグスティヌスと聖ステファヌスが現れ、

  アウグスティヌスが伯爵の頭部を、ステファヌスが脚部を抱えて埋葬したところを描く。

② 周囲で群衆がこれを見ており、その上には天国の栄光が描かれている。

ええ~?聞いただけで難しそうでヤ~メタって言いそうになりますが、グレコはこれをやりのけるんですねぇ~。

グレコは一般に素描とか形に秀でた作家ではなく、色彩の画家なのだ、とおもわれがちですけど、

どうして、どうして。

この卓越した技をご覧ください。

まず、聖ステファヌスのこのろうたけた美しい顔の表情を見てください。

聖ステファヌス.jpg

そして、聖アウグスティヌスの威厳に満ちた静謐な表情。

聖アウグスティヌス.jpg

そして二人の豪華な衣装。その衣装の質感を見事に描き分けた画家の技量!

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そして、埋葬されるオルガス伯爵の

いかにも貴族らしい高貴で端正な顔立ちを見てください。

眉目秀麗とは、こんな顔のことをいうのね・・・。ホゥ

いや~、亡くなられたオルガス伯爵も

こんなに男前に描いてもらって、天国でうれしさのあまり、涙ちょちょぎれてますよ!

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そして、その甲冑に映りこんだ聖ステファヌスの姿と後ろの群衆のひとりの手も!

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すっばらしいですねぇ~。

ですが、グレコは一生自分の描いた絵を最初交渉した値段で

買い取ってもらえないという不運につきまとわれています。

この絵も最初の契約では1200ドゥカートだったのに、

教会側がその値段に見合ったものではないとケチをつけ

それで専門家に再評価させたところ、あまりの出来栄えの良さに

1600ドゥカートの値打ちを受けて、教会側が大いにあわてるという事件になったそうです。

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エル・グレコについて画集の解説を読んでいて気になったことをひとつ。

彼はもともとイコン画家だったということですから、

本来は正教徒だったはずですよね?

イコンは画家独自のオリジナリティーを表すことを禁じていますから

それに飽き足らずに、彼はカトリック社会へ出て行ったのだと思うのです。

果たして、どっぷりカトリック社会へ出て行って、そこで自分の思うままの絵を描いたわけでしょうが

本当の彼のギリシャ人としてのアイデンティティは揺るがなかったのでしょうか?

西側のカトリック社会においてはギリシャのオーソドックス的精神を否定する場面も

多々あったにちがいないはずなのです。

そこをどう、彼は対処していたのか?スペインに住んでいたギリシャ人として。

そこが、わたくしにとって一番興味あるところです・・・・。


黒い服 [ちょっとした考察]

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 すらりとスレンダーな肢体だからこそ着こなせる

粋なブラックドレス。

「ティファニーで朝食を」のA・ヘップバーン。

昨日、メンズ・ファッションっていうのは、

厳然とした決まりがあるってハナシをしました。

カジュアルな服はカラフルでも

やっぱり、きちんとした服はそれなりに、と思うのですね。

花嫁衣裳に対する花婿の衣装っていうのは、

燕尾服かモーニングコートか、

どっちかなってところだと思います。

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 こういうタキシードはかっこいいけど、夜の恰好だし

お婿様には向かないと思う・・・

漫才師みたいなカマーバンドやめてくれ!

ショーン・コネリー、ガタイがいいねぇ。

洋服をかっこよく着こなすには体型もそうだけど体力がいるのだよ。

こういう正装って時間帯によっても着る服が違うと思うし。

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黒はジミだ、とか目立たない!と思っているのは

いささか早計ですよ。

っていうのも、19世紀になるまで

厳然たる「黒」い服ってなかなか作れなかったものなのよ。

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「チューダーズ」でサフォーク公を演じるHカヴィル。

黒っぽい服をきてるけど本当の黒じゃないと思うよ。

とてつもなく黒を作り出すのは難しかったんだね。

それまで、なんとなく「黒っぽい」くすんだ色はよくあったけど、

それは混じり気のない黒ではない。

このルノアールの絵の、帽子をかぶってない女の子は

庶民なの、黒っぽい服をきてるけど、実は黒じゃないの。

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 傘をさしている人たちはたぶんブルジョア。帽子をかぶっているのでわかる。

買い物籠をさげているネーチャンは貧しい家の子なのです。

黒い洋服っていうのは、とてつもなく労力と値段がかかって

一部の特権階級にしか着られないものでした。

ですから19世紀の印象派の成金たちは

こぞってみんなこの色を着たがったもんなんです。

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ダンディズムを追求したホィッスラーの作品。
当時、こういうホワイトタイの様式が定着したみたいよ。
禁欲的ないでたちが男を光らせるのだ。 
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 いろいろと物議をかもしだした「マダムXの肖像」

サージェントは印象派に影響されたアカデミズムの画家だったが、

パレットの中から黒を排斥することはなかった。

黒って色は不思議な色で

それだけを着ていれば

陰気な感じになるけど、

黒にゴールド、黒にダイヤモンドだと

とたんにわぁ~っと華やかになるんですよね。

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平安の時代から公卿にしか許されなかった束帯も黒です。

この束帯の黒はどんなふうに染めていたのかさだかじゃないですが、

そのころの貴族ってたぶん、その家、その家に専門の生地を染める職人がいたらしいですよ。

黒にいきつくまでに自然の染料で赤に染めて次は青の染料の中にいれて、それから~

って果てしない行程を経て、あの束帯の色ができたんでしょうねぇ~

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やっぱり殿上人しか着られないわけです。

そういうわけで、やっぱり世の中のお婿様たち、

ピンクのタキシードきるのはやめようね。

黒はとてつもなくゴージャスな色なんだから。

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ダニエル・クレイグも大好き。カッコイイ。
彼のタキシードは色っぽいとはいえないけど
なにかとても誠実な感じがするね。

≪エーゲ海に捧ぐ≫にまつわる思ひ出 [ちょっとした考察]

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この間、編みあがったニットを首のところだけ繋いで、

どんな具合かを鏡で確認するために

廊下をうろちょろしてたら、

ちょうど夫サマが帰っていらしって

「なにしてんの?ジュディ・オング?」

と笑っておっしゃいました☆

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

子供にジュディ・オングって知ってるかと尋ねますと

「しらん」でございまして、ま、それも当然かな~と思ったり。

その後、編み物教室で「ジュディ・オング知ってる?」と聞いたら、

オリジナルはしらないけど、よくお笑いで物まねされるから知ってるとのこたえ。

へぇえ~~

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実はうちの夫サマはこのジュディ・オングの「魅せられて」のLPを持っていた!

それは連れ添ってン十年なのに、今知ったことでした。

で、驚きつつも、そのLPを聴きながらこのトピを書いてるんですけどね・・・・。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

よく考えてみれば、大ヒットしたといっても、それはわたくしが高校生の時の話。

しかし、十代のアタマっていうのはそれはそれは記憶力が良くて、

ここ二三年の出来事も次々から忘れてしまう昨今、

ことの細部まで詳細に覚えているものなのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「エーゲ海に捧ぐ」って原作が池田満寿夫の小説で芥川賞を受賞したんです。

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池田満寿夫はもともとが画家ですので、すごい才能だ、と思ったんですね。

で、読んでみたんですが、

よくわかんなかった。アニタっていう女がどうやら主人公らしいってこと意外は。

そこで、池田満寿夫がさらに、映画を作ったんですヨ。

映画は、映画はすばらしく美しくて、

高校生が見るにしては刺激の強いモノでした。

やっぱり、話のすじはさっぱりわかりませんでしたけど。

紫に近いほど青いエーゲ海、太陽の強い光にさらされた白い建物、

「すげ~、こんなきれいなところあったんだ!」って感じです。

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まぁ、当時の日本人の平均的な感想じゃなかったんじゃなかろうか?

それほどまでに、ギリシャって国は遠かったんですよ。

そして、本当に感動したのが主人公である、イロナ・スターラの美しい肢体ですよ。

この映画の彼女は不思議な透明感をたたえた美女で、本当にどんなポーズをとっていても

淫らな感じはみじんもせず、美しかった。

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何ていうのかな~、今って巨乳とか美乳とかオッパイの形ばっかり気にしているようだけど、

西洋の女の人のカラダって、美しさの秘密って実は姿勢のよさじゃないのかな

ってそのとき思ったんです、

だって、ピンと背が伸びていると、背骨がヒップにいたるまで美しく弧を描いて

立体的なんですよね。

これって男性は絶対にそうはならないし、あの美貌で女をタジタジさせている

アンドレイ・ペジック君もできないワザです☆

日本人ってここまで姿勢がいい人ってあんまりいないから、というより、

もともと西洋人と東洋人というか日本人はもともと腕の付き方が

違うんじゃないかって思ったもんです。

この主演をした謎の美女イロナ・スターラは実はのちのチッチョリーナでございました。

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彼女、このあと豊胸手術したみたいにみえるんですけど・・・・。

彼女があの映画で見せた、「透明感」はなぜかすっかり消え失せ、

ただ単にお色気ムッチリの人になっていました↓

ポルノ女優だから必要に迫られてやったのかもしれないけど、

そのとき女性のカラダの美しさっていうのは、胸の大きさじゃないな、と思ったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、もともとジュディ・オングのこの「魅せられて」ってどこに使われていたのかっていうと

この映画、協賛としてワコールがタイアップしていたのね、

それで、フロント・ホックブラっていうののCMをしていて

イロナ・スターラの姿とともに、ジュディ・オングの歌声が広まっていったというわけです・・・・。

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 今から見るとブラジャーの位置がちょっと下だよね~?

昔は「寄せて上げなかった」!

で、その後、「エーゲ海」よりもジュディ・オングのこの歌が爆発的ヒットをしまして

当時のレコード大賞を受賞した、と。

このときのジュディ・オングの衣装もすごく話題になったんですよね。

これはもともと、イロナ・スターラが真っ青なエーゲ海を臨む岬に半裸になって立ち、

シースルーのヴェールを棚引かせてたのをイメージしていたんだとおもうけど、

その後勝手に進化していますよね・・・・。

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なんか、ちょっと前のコトのような気がしますけど

1979年の出来事ですんで 

あれから軽く30年はたっているのね・・・・。(年取るはずだわ・・・・orz)


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