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熱狂させるヴァイオリン! 『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』 [読書&映画]

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さて、昨日、Amazonプライムにて

さまよっていると、

突然、この映画が現れました。

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この映画の一番のウリはなんといっても

主役を務めるパガニーニに、本物のヴァイオリニスト、兼 モデルという

天は人に二物以上与えてしまった稀有な存在、

ディビッド・ギャレットを配したことにありそうです。

映画の中でパガニーニ扮する彼が、

五億円という名器を使って吹き替えではなく、本物の超絶技巧を堪能できるというのも、

ひとつのウリであります。

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彼の技巧とパフォーマンスは、現代の女性も十分にきゃーきゃーと熱狂させるものが

あると思います。まるで映画かれ方は19世紀のロックスターのようでした。

そして、このディビッド・ギャレット自身の演奏が、映画のように

こんなド派手なパフォーマンスをするのかどうかわかりませんが、

非常にこう、なんていうんですかねぇ、かっこよいんですよ。

長い腕と指を存分に生かしたダイナミックな演奏はロマンティックでしかもセクシー。

また、こういう現代に通じる恰好よさというのは

やはりダンディズムが台頭していきた19世紀のものだなぁと思うんです。

昔のヨーロッパってシンメトリーが好きで、そういう意味からも

こんなヴァイオリンというものは受け入れられなかったと思うんですね。

またアンシャンレジームのヨーロッパというのは

こういうふうに人前で激情に駆られるようなプレイというのは

かなり不謹慎というか、かっこ悪いものだと認識されていたような気がします。

時代はロマン主義に入りまして、やはりこういうアシンメトリーの美が

もてはやされるようになっていくんでしょうね。

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美しさというのは、こんなふうにその時代の人々の集合的無意識にも

支えられているもんなんだ、とつくづく思いました。

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悪魔ですら「神の栄光」のために存在する。  『エクソシスト』 [読書&映画]

これまでの読書人生でベスト10の中に入る傑作中の傑作。

エクソシスト (創元推理文庫)

エクソシスト (創元推理文庫)

  • 作者: ウィリアム・ピーター ブラッティ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1999/07
  • メディア: 文庫




 子供の頃、前評判があまりに恐ろしくて見られなかった映画だが、

悪魔に取り付かれた少女の恐ろしい変貌ばかりが独り歩きして

この作品の真の魅力を伝えられず、

理解されもしなかった。

これは実は愛のドラマである。

女優という最も今風な職業についている32歳の母親と12歳の娘。

無信仰の女優が、あらゆる治療を求めていきついた先が「悪魔祓い」。

そして悪魔祓いを頼まれる神父。これは本当に悪魔憑きなのか精神分裂病か、

精神科医でもある神父は悩みに悩む。読了後の感動の涙が半端ない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この小説の作者は実は神学校を出て

神父になるはずだったらしいですが、

やはりどうしても物書きになりたくて、

神父の道は断念したらしいです。

だから、といいましょうか、

ものすごいリアリティがあります。

私はエクソシストの本当の主人公は

悪魔にとりつかれた少女リーガンを看る

神父でもあり、悪魔学の第一人者で、また精神科医でもあり、

母校のジョージタウン大学で教鞭をとるデイミアン・カラス神父だと思います。

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ちょっとここで断っておかなきゃならないと思うので

いいますが、カトリック教会の神父になるというのは、

実は生半なことでは絶対になれません。

カトリックにはヒエラルキーがありまして、

神父は民衆を統率する将校の役割をします。

民衆をどんなに愚鈍でも迷信深くてもいい、

しかし神父はそうはいきません。

というのも、かなり神父になるには修養が必要で、 

高い教養と知識が必要だからです。

それをわかって読んでいるとかなり理解度が違うと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

デイミアン・カラス神父は実は難民二世であり、ユダヤ人でもあります。

そして幼い頃はニューヨークのスラム街で育ちました。

しかしそんなバックグラウンドが全く感じさせないほどの

ルックスと雰囲気を持っています。

なんか読んでいて、政治学者の姜尚中サンを彷彿とさせるんですねぇ。

はじめ、リーガンは周りのものが「え?」っと思うような

穢い言葉を使うようになるんですね。

それがだんだんと大きくなり、そして家の中で超常現象が起こるようになり、

大きな精神病院で見てもらって、

「精神分裂病」ではないか、と診断されるのですが、

しかし、その精神分裂病とされる患者とは検査のデータ結果が違うのです。

さじを投げた担当主治医が「最後の手段で、効くかどうかは保証のかぎりではないけれども」

と条件をつけ、「カトリックの悪魔祓いをして過去によくなった症例がある」

というんです。

母親のクリスは32歳の今を時めく女優で、

もちろん信心に凝り固まった人間でもなく、

特定の教会に行くでもなく、

そういったものは、過去の迷信であるとして

一蹴してきた人物なのです。

ですが、事はここに及んで、彼女も娘のあまりに恐ろしい変貌、

くさい吐息、話の内容を聞いて、これは本当に悪魔がとりついているんだと、

確信に至るようになるのです。

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 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方のカラス神父ですが、

この人はそうおいそれと、悪魔祓いをしましょう~などとは言いません。

「奥さま、私が今まで見た症例で、悪魔が憑いていると思われたほとんどは

精神病です。お嬢さまもそれに違いないと思います」

となかなか悪魔祓いをしようとしません。

それに、やはり現代のカトリック教会はそういった迷信に非常に懐疑的で

悪魔祓いをしたことに対して世間の風評をものすごく気にするのです。

ですから、二重三重にやりたがりません。

カラス神父は「もし、悪魔祓いをするならば、

法王庁がそれと認める決定的な証拠というものを、きちんと提出しなければなりません」

その中にはいろいろと複雑な要項が出て来るのです。

本人が知りえない事実を知っている、であるとか、

本人が扱えない、例えば古いギリシャ語やアラム語などが使えるとか

そういった事項は、やはりリーガンの中から出てきます。

悩んでいる中で、悪魔はリーガンに睡眠をとらせようとしないし、

ものを食べさせようとしないので、次第に衰弱していきます。

カラス神父は悪魔に「何が望みだ?」だ尋ねると

「この雌豚の死だ!」というのですねぇ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ここにきて、カラス神父は決断します。

大司教に悪魔祓いをすることを許可を得ます。

すると悪魔祓いを過去に行ったことがあるベテランの神父と一緒に

行えという通達が来るのです。

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しかし悪魔はなかなかしぶとく、リーガンの身体から去っていきません。

あまつさえ、先輩神父のペリン神父も悪魔祓いの途中で

心臓麻痺を起こして死んでしまうのです。

「この雌豚はおれのものだ!」

と狂喜している悪魔に向かって、いつでも冷静だったカラス神父は切れます。

「なんだ!お前は! そんな小さくて弱い女の子供にとりついてなにが楽しい?

おまえの力はそんなもんじゃないだろう? どうせなら大の男であるおれについて見せろ!」

と叫ぶのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

愛の瞬間ですね~。

カラス神父は、理性的にそういったわけじゃないんですよ。

そして、カラス神父は悪魔が少女の身体から去って、自分にとりついたと悟った瞬間に、

自ら悪魔と一緒に二階から飛び降りるのです。

う~ん、殉教ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昔、子供のころ、お化けがいるのであれば、あの世があると思って

妙に安心したことがあります。

死んで無になるよりは、悪魔でもおばけでもいいから

いるほうがいい、と思ったのです。

私は小さいころ、クリスチャンの家庭に育ったので、

牧師さんに聞いたことがあります。

「どうして世の中には、不幸な人や、体の悪い人がいるのですか?

神さまが全能なのであれば、どうしてエデンの園に人間を試すように

禁断の木の実などを植えるのでしょう?

神さまは意地悪ですね、と」

牧師さんはこうおっしゃいました。

「世の中のありとあらゆる出来事は、一切が神さまの栄光を表すために

存在しています。


それがわたしたちの眼からみてどんなに悲惨なことであろうとも、

それは神さまの愛から出たことなんですよ。

あなたもいつか、その大きな愛というものに気が付くことができるでしょう」

とわかったようなわからないようなことをおっしゃいました。

しかし、本書を読むと当時、子供の私に真摯に答えたくれた

牧師さんの言葉が頭によぎります。

本書はリーガンが悪魔にとりつかれてから、三人の男性が死んでしまうのですが、

そういった悲惨さの影に、どれだけの人間が深い思いで、

必死になってその少女から悪魔を取り去ってやろうと腐心しているかが

わかるのです。

現代の世の中において、神はともすれば共有する「愛」を人間に思い出してほしくて

こういった荒業をやってのけるのか、と思ったりするのです。

無関心ほど愛から遠いものはありませんから。

コレスポンデンス ある天文学者の恋文 [読書&映画]

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ただいま上映中の映画ですので…。

主演はジェレミー・アイアンズとオルガ・キュリレンコ。

どっちも大好きな俳優さんです。

ジェレミー・アイアンズは昔からこうちょっとセクシーな俳優さんでしたが、

お歳を召してからますます、って感じですかね?

オルガ・キュリレンコもすごく美しい人なんだけど、どこか温かみのある

優しい表情がとても印象的でした。

あと、映画を見ていて思いましたが、

スマホが普及し、ラインが出来上がったことで

あっというまに世界共通のコミュニケーション・ツールが浸透して

人の反応というか、世界が同時進行でやることが同じっていうのがある意味すごいな、と。

これがちょっと前でしたら、例えば007の『カジノロワイヤル』の劇中のヴェスパーが

ケータイを持っていても、日本仕様とは違うので、ガイコクって雰囲気を感じることができましたが、

いまや世界中、着信音までが一緒だという…。

ある意味で驚きです!

この話は、そういうツールを駆使して

応答し合う愛の物語ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とまあ、これから見に行こうという人はここまで、です。

ネタばれありです。。。 

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惣領冬実の「マリー・アントワネット」(裏ブログとは違うよ) [読書&映画]

9月23日に発売だった

惣領冬実の「マリー・アントワネット」

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アマゾンで買おうとしたら、どういうわけか予約なのか送料の350円かかるっていうんで

ふつうのお店でダーリンに買ってもらいました(極端な出不精なんだな~)

やっぱり前々から、私が言っていたとおり、

王さまはすごいイケメンに描かれていた!

まるで「MARS」のレイちゃんのようでした…。

そこまでかっこよくせんでよいいのにというくらい、ハンサムでございました。

冒頭の大人になった王妃さまのお顔っていうのが

なんとなく、今フランス映画で引っ張りだこのカトリーヌ・フロに似ているような気がして~。

ヴェルサイユ宮殿監修っていうのがすごいです。

絵がやっぱり現地で取材してきたのは違う!って感じで

本当に詳細に描かれていた。

しかし、プチ・トリアノンの館の内部の詳細っていうのは、

いわゆるこのころのフランス貴族の一典型ではないかと思うのですね。

それは、「ベルサイユのばら」の外伝に載っていたジャルジェ家の構造とも

基本的には全く同じだし、

この間見た、ベルギーかオランダ貴族のお話の映画

「素敵なサプライズ」に出てきたお屋敷の内観ともそっくりでした。

白黒でできた格子柄の床。それも斜めに走らせるのがヨーロッパですね。

そして、瀟洒な透かし模様の入った片翼だけの階段。

う~ん、いいですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マリー・アントワネットはなんていうのかな、

死んで名を挙げた人ですよね。

生きているうちは、罵詈雑言の嵐でしたが。

ルイ16世は、長らくツヴァイクの伝記が世の中に浸透していたせいで

デブでチビで愚鈍な王様と誤解されていましたが、

全くの逆で、ものすごく名君だったんですよ、

世の中を改革しなければならない、と思っていたから

結果的に革命が成功できたんであって、

暴君だったら、1789年の7月14日に

民衆を徹底的に痛めつけることもできたんですね~。

ナポレオンは案外非道でして、大砲に「ぶどう弾(散弾のこと)」を入れて

虐殺することもいといませんでしたが、

ルイ16世さまは、やはり最後まで使わなかったとか。

(知らないから使わなかったわけじゃないよ)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

マリー・アントワネットとフェルセンの恋ってものすごく有名ですが、

これも結局、学者たちの間では意見の分かれるところで

フェルセンは単なる王妃様の取り巻きのリーダーに過ぎないという意見や

王さまがあまりに頭が切れるので、息抜きにバカっぽいフェルセンとの会話を

楽しんだんじゃないかっていう説もあり、

中野京子さんなどは「ロココの時代というものを考えてみると、肉体関係がなかった、ってことが

不自然」ともおっしゃっていて、決定打には欠けるところです。

ただ、わたくしが思うに、

案外、この夫婦はあっさりしていて、ドロドロの不倫を楽しむタイプではなく、

ちいさな家庭の幸せを大事にしていた、とも思えたりするんですよね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しかし、本は「え? これで終わりなの?」って感じで

面白いのに、すぐおわちゃった、続きはないの?って感じ。

だけど、「チェーザレ」も11巻でずっと止まっているし、

早く先が読みたいんですよ~。

わたくしが死ぬまでには全部読みたいです。

惣領センセ、頑張って。


自分的激萌え映画   『デュエリスト 決闘者』 [読書&映画]

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最近、ちょっと暑かったせいか、(京都の夏は半端なく暑い!)

精神的にも肉体的にも、しょぼ~~んとして辛くて、

大好きな映画も見られずじまいでしたが、

ここんとこ、少し回復して、フールーで楽しんでおります。

そして!!

 なぁんとタイムリーなことに、

自分的激萌え映画を見てしまいました!

タイトルは『デュエリスト(決闘者)』

どこに萌えるかというと、それは、それは!!

時代がナポレオン時代の騎兵隊の話なのです!!

わ~い! 

あの時代の軍服大好きな人間にしたら、よだれが垂れるほど

素敵な映画でした!

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騎兵隊の将校さんは、乙女のあこがれ。
いつでもどこでも、モッテモテです。

みんなユサール騎兵の恰好をして、肋骨飾りの服の上にプリスを着て、

サーブル・タッシュをつけていて、華やかです~。激萌えです~。

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今まで、図でしか見たことなかった騎兵隊ですが、

動いているのをみて、なるほど、なるほどと感心してみていました。

それはともかく、

しかも!

監督がかの有名なリドリー・スコットというところが

ビックリです!

あの、「エイリアン」の監督ですよ。

このデュアリストっていいうのは、エイリアンをつくるひとつ前の

映画ということです。

う~ん、スコット監督になにがあったんだ?っていうくらい

作品の質が違う~~。

あ、でもこれがスコット監督のデビュー作らしいですね。

まぁ、監督って扱う素材が違えば、また逆に素材に見合うスタイリッシュな画像を

作りたくなるものだから、それはそれで納得です。

初めは1800年から始まるのですねぇ。

このころの軍隊はまだ、旧体制風ファッションが主流みたいで、

びっくりしたのですが、騎兵隊の将校のヘアスタイルです。

まぁ、なんとなく、ロン毛を後ろでおリボンで結んで、

サイドの髪はローリングして~、っていうのはなじみのあるヘアスタイルですが、

騎兵隊の人間は、サイドの髪を三つ編みしていた!っていうのが

 なんか新鮮でした!

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でも、ナポレオンが皇帝になるあたり、1810年ぐらいになると、

流行が変わったというか、世の中の意識も変わっていくらしく、

髪の毛はロングにしなくなるんですね~。

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主人公のデュベールも途中で髪の毛を切っています。(でも、ローマ風に刈り込んでいなくてちょっと長い)

話は…。

1800年の第7騎兵隊の時代。

ストラスブールに駐屯していた第7騎兵隊に、

フェロー中尉という、きわめて決闘好きの男がいました。

本当は、軍人は決闘をしちゃだめっていう規則があったのに、

なんとフェローはそこの有力者の息子と決闘して重傷を負わせてしまう。

部下の不始末を聞きつけて激怒した将軍は

主人公のデュベール中尉にフェローを謹慎処分にするということを伝えて来い!と

命令します。

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将軍ファッションも渋い!!!

しかし、単なる伝令役のデュベールに対し、フェローは「謹慎処分」にされたのは

お前のせい、といって逆恨みします。

バカとは会話ができないという典型です。

すぐにまた、「お前と決闘する!」とフェローは激高します。

ここで、受けて立つと自分だって軍紀を犯したことになり、

自分の立場が危うくなることを知っているデュベールは

決闘することを固辞するのですが、アホなフェローはどうしても返してくれません。

諦めて決闘するのですが、

賢いデュベールにフェローはどうしたって負けちゃうんですよ。

初めは剣で、

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次は馬上で、

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最後は銃でって

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何回やれば気が済むの?

それに、デュベールはフェローに対抗心ももってないしね。

しかし、いつまでたっても、フェローは和解することをかたくなに拒み、

なにかあるごとに決闘を再開させようとする。

さて、時代は過ぎ去り、キレモノのデュベールはそれなりに

ナポレオンのロシア遠征にも辛くも生き残り、あまつさえ王政復古の世の中になっても、

世の中をうまく泳ぎ渡り、めでたく旅団長(日本風に言えば、少将)にのぼりつめました。

長らく戦い一辺倒で生きていたデュベールですが、姉さんが持ってきた縁談を受け、

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キース・キャラディーンの手足が長くて優雅なこと!
もう、美しすぎて震えます!笑

幸せな家庭生活を送ります。

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 ウェディング・ケーキをカットインするときは
自分のサーベルでカットよ。
やっぱり、手も美しくてセクシーな
キース・キャラディーン!
紺サージの上に金糸の刺繍が見事な将軍ファッションも素敵!!!!
あ~、こういう素敵な将校さんとなら
あたしも結婚したいかも!
(旧日本陸軍はいやです)

さてもうすぐ妻が月満ちて初産をしようというまさにそのとき、

しつこいフェローはまた、挑戦してくるのです。

しかし、デュベールは今や父親になろうとしているのです。

それに妻もいる、そして一人娘の妻の舅もいます。

いまやデュベールには一家の長としての責任があります。

ここはどうでもフェローに勝たなければならない。

デュベールは誰にも告げず、フェローとの一騎打ちへと向かうのでした!

・・・・とまぁ、ありがちな話ですが、

それなりに面白かったです。

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このデュベールをやった俳優さん、まったく知らない人で

キース・キャラディーンという人なのですが、

わたくしのストライクゾーンど真ん中という、すっごいハンサムな人です。

なんていうのかなぁ、いかにもイギリス男って感じ

(とかいいつつ実はアメリカ人 要するにアングロサクソン色の強い人)で、

レイフ・ファインズとかジェレミー・アイアンズみたいな

ものすごく手や脚が長くて、肩幅もあって、首なんかも長くて、

って感じのハンサムさんです。

どういうのかなぁ、前も『シェリ』のルパート・フレンド見て思ったけれど、

こういう人って絶対にイギリス人なんであって、フランス人には見えないんですよね。

イギリスとフランスって近い、と思うけど、

イギリス人って実は北欧に近くて、フランス人って南のローマ寄りの人種なんだなぁと

思ったりします…。

フランスを描いた、イギリス映画なのでありました。


無垢な少女の娼婦  pritty baby [読書&映画]

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だいぶ、昔の映画を見ました。

ブルック・シールズの出世作、ルイ・マル監督

「プリティ・ベビー」

この映画は、アメリカ映画らしいですが、

舞台はニュー・オーリンズで、少しフランス風なんですよね。

で、監督さんもフランス人なんで、

昔のフランスの娼館である「メゾン・クローズ」の雰囲気が

よく出ているなぁ、と見ていて思いました。

パリ、娼婦の館  メゾン・クローズ (角川ソフィア文庫)

パリ、娼婦の館  メゾン・クローズ (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 鹿島 茂
  • 出版社/メーカー: 角川学芸出版
  • 発売日: 2013/10/25
  • メディア: 文庫


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そして、身体をひさぐ商売で、ギスギスしている女たちばっかりいるのかなぁ~

と思いきや、舞台の裏側を見ると、

女将がいて、身体を売る女がいて、作男もいて、料理女もいて、

男に身体を売っているわけだから、当然、その結果として

子供もうろちょろしているわけで、

案外、こうふわ~っと家庭的な雰囲気もある。

これはモーパッサンの『テリエ館』を読むとよくわかる。

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まぁ、そういうフランス風な感じが濃厚な娼館が舞台となります。

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そこにまだ大人でもなく、子供でもない12歳の少女、ヴァイオレットが住んでいます。

彼女は、娼婦の母親から生まれて、この館で育ち、この世界以外のことを

知りません。

男に身体を売ることが、賤しいことだとも別段思っていないし、

そういうのがごくごく当然で、自分も将来は母親やここの仲間の姐さんと同じように

娼婦になるんだろうなぁと思っているんですよね。

でも、あるとき母親のほうがパトロンを見つけて、娼館を後にする。

堅気になれたわけなんです。

でも、外の世界をしらないヴァイオレットは母親と一緒に

パトロンの家へ行くのを断固拒否する。

そして…、あるとき、初物であることを付加価値として

客の前で競りにかけられ、なんと一晩400ドルの値をつけられて

中年の男に破瓜されてしまうのですね~。

そういういたいけなヴァイオレットを放置できなくて、

全うに育ててやるには、夫婦になるしかないと思い、

娼婦を撮る写真家の男に引き取られるんですね。

でも、あるとき母親が迎えに来て、

「まだ年端もいかない娘に対して、

親の同意もないこの結婚は無効だ!」っていって、

むりやりその写真家から娘をかっさらっていくんですよねぇ。

最後は良家の子女ふうな恰好をさせられて、

駅のプラットフォームに立つ、ブルック・シールズですが

良かったね、っていう気持ちにはなれず、

「なんて痛ましいんだろう」ってしみじみするんですよね。

この子は、今まで世の中の裏の裏まで見て来て、

今更、まっとうな世界に戻っても不幸になるんだけなんだろうなぁ、みたいな。

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それと同時に当時11歳のブルック・シールズですが、

まだ、大人の世界もよく知らず、実際はもっと夢見るような

親や、友達などで幸せにくらしているような年頃なのに、

こんなすごい映画で全裸になって、ものすごい大胆なポーズをとらされているのが

本当になんというか、痛ましいんですね。

劇中の少女娼婦のヴァイオレットも

それを演じているブルックも

やらされていることの本当の意味もわからず、

微笑む顔ざしのなんと無垢なことか…。

それがもう、絶世の美少女ですから、よけいです。

後年、ブルック・シールズは、やはり幼児虐待を受けた、

マイケル・ジャクソンと仲がよかったそうですが、

やはりね、こんなロリータ趣味の映画に出させる親の良識みたいなもの、

なんだか疑ってしまうんですよね。

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子役と言えども、やはり心はありますからね。

そのときは言語にできなくても、

受けた心の傷はあとになってうずくはずです…。


ギャラントリーとはこういうもの? 『花咲ける騎士道』 [読書&映画]

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今日はなんというか、ガンガン行ってみたい気分なので、

最近見た映画の中でお気に入りのヤツをひとつ。

それは『花咲ける騎士道』ですね!

これって本当は1952年にも、かの伝説の美男、ジェラール・フィリップが主演したものの

リメイクなんだそうです。

わたくしね、実はこのジェラール・フィリップ版を見に行ったんだけど、何とお恥ずかしいことに

途中で寝ちゃったんですよ。

以前、ギヨーム・ドパルデュー主演の『ヴェルサイユの子』のときも

意識がなくなってたなぁ。

画面が暗いとね、なんかダメ見たいですわ~。

若いとき(いやね、こういうこと言わなきゃならない年回りなのね…)は、

もっと私も切れてて、そんなこと絶対ありえなかったんだけど、劣化したんだわww

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これね、監督は違う人だけど、製作・脚本がリュック・ベッソンなの。意外だわ~。

リュック・ベッソンは『レオン』といい、『ジャンヌ・ダルク』といい、

わたしのストライクゾーンど真ん中という監督さんで本当にスキスキスキなのよ~~

このフランスのアンシャン・レジーム臭漂う、知と痴のまじったおバカかげん。

絶妙だわ! フランス人にしか作れない映画だと思う。

それにね!主役のファンファンがヴァンサン・ぺレーズなのです。

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(あ~、『王妃マルゴ』のときのラ・モルのヴァンサンは死ぬほどセクシーだったっす)

もう、目だけで女を妊娠させることができるという噂のドハンサムさんです。

(とかいって、微妙に頭が寂しい気がするのは、わたくしの眼が老眼なせいかしら~)

しかし、このファンファンの役はそういう彼の冴えたカッコよさというより、

お茶目なところが強調されていてとてもかわいい。

でもね、途中途中で剣を交える殺陣があって、

途中でひゅんひゅん、って剣を宙で切ってなんかかっこいい。

アクションシーン、てんこ盛りです。それもうれしいんだよね。

あと、相手役のジプシー娘に、これまたスペインの超弩級の美女、ペネロペ・クルスですね。

ちょっと気がついよいけど、一途な娘がすごく似合っていました。

これさぁ、この映画のキャンペーンのときに、ペネロペ・クルスが着用していたものを

神田うのが来てたんだけど、本当に似合ってなかった!

あ~、神田うのもスタイルよいのになぁ、やっぱりこういう服は着る人を選ぶんだぁとか

思ったかな。

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しかし、フランスを舞台にしたこの映画の主役ふたりには、フランスの血は一滴も

流れていなかったのでした…。(笑)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このお話は、なんていうの、あってないような、ま、いわば一種のおとぎ話なんですねぇ。

これさあ、ボケーとみていると、あ、王さまか、どっかの身分の高い侯爵夫人か、

王さまの娘か、戦争か、で日本人は流してしまうけど、そうやってバックグランドを

知らずにみるのはもったいないですよん。

これはね、たぶん王様はドハンサムで有名なルイ15世なのです。

そして、身分の高そうな侯爵夫人はポンパドゥール夫人です。

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王さまの娘は、王妃マリー・レクチンスカヤが生んだ王女ですね。

そして、劇中で起こっているのは、七年戦争です。

これだけわかっていると、なるほどなるほど、と結構面白く

その時代を観察できるというものです。

七年戦争というのは、ちょっとややこしくて、

オーストリア継承戦争のあと、シュレジェン地方をプロシアにうまうまと取られてしまった、

オーストリアが長年の不倶戴天の敵であったはずのフランスを含め

ロシア、スウェーデン、スペインと組んだのです。

対して、プロシアと組んだのは、イギリス、ポルトガル、あとよくわかならい聞いたこともないような

どこにあるのかもわからないような小国ですね。

ルイ15世はもう、本当に女だけに興味あった人で、戦争は全く音痴だったようです。

元帥に「世の軍はどれじゃ?」

と尋ねても元帥もボケなので、「え~っと、どれでしたでしょう?」

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誰も答えられるものはいないというスカぶり。

一方、風来坊のファンファンはあっちこっちの娘に手を付けて、

その父親に「これ、責任とって結婚せんかい!」と追いかけまわされてばかりいる男。

もうすごく男前なので、振り切っても振り切っても女がわらわらと寄って来るんですよね~。

まぁ、話し自体は語るほどのこともないので、

実際見てみれば、面白いかな。

ただ、やっぱり特筆すべきはファッションですかねぇ。

ポンパドゥール夫人はかの有名はリボンがだーっとついた「階段」と呼ばれる

ローブ・フランセーズみたいなのはお召しになっておられませんが、

とても素敵。

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ファンファンのアキテーヌ連隊の空色の軍服もカワイイです。

敵側のプロイセンの王様がバカボンのパパそっくりで大笑いできます。

いつも、こういう本物のフランス映画を見ていて思うんだけど、

貴婦人という方は、日本の武家の奥方とはまたちょっと違った威厳があるんですねぇ。

フランス女性というものは、エレガンスを、そしてその上にコケットリーというものを

必ず身に着けていなければならないんだと。

一見、バカみたいに見えてしまっても、それは演技なのですねぇ。

本当はすごく鋭い。だけど、ふんわりと可笑しさがただようしぐさは見惚れてしまうばかりです。

やはり、こういう春風駘蕩という体ですと、

男もギャラントリーを磨かなければなりますまい。

タレーランは『革命以前を知るものでなければ、本当の楽しみを到底わかりえない』と言ったそうですが、

ある意味本当だと思う…。


「私ほど無垢なものはいない」  死刑執行人・サンソン  [読書&映画]

 さて、今回は『死刑執行人サンソン ―国王ルイ16世の首を刎ねた男』

についてです。

死刑執行人サンソン――国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン――国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/12/22
  • メディア: Kindle版

この本は、小説でもなんでもなく、まったくの学術新書なのです。

しかし、まさに「事実は小説より奇なり」を地で行ったような内容で、

かつ非常に感銘を受けました。

この本を知るきっかけは、全くミーハーなことで申し訳ないのですが、

マイブームで『ベルばら』にはまっていたとき、

『ベルサイユのばら』のサイドストーリーというべきなのか、

ともかく、40年ぶりで、そういう類のマンガが作者の手によって描かれ、

マーガレットコミックスの⑪、⑫巻と言う形でを刊行されたのですね。

ベルサイユのばら 11 (マーガレットコミックス)

ベルサイユのばら 11 (マーガレットコミックス)

  • 作者: 池田 理代子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/08/25
  • メディア: コミック


ベルサイユのばら 12 (マーガレットコミックス)

ベルサイユのばら 12 (マーガレットコミックス)

  • 作者: 池田 理代子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: コミック



これを買ったとき、本の中に『イノサン』というマンガのチラシが入っていたのです。

この漫画は今でもヤング・ジャンプかな?に連載中とのことです。

イノサン コミック 1-9巻セット (ヤングジャンプコミックス)

イノサン コミック 1-9巻セット (ヤングジャンプコミックス)

  • 作者: 坂本 眞一
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2015/05/19
  • メディア: コミック
『イノサン』一応9巻までと『ルージュ』の1巻まで読みました。
マリー・ジョセフっていう死刑執行人の妹が途中で主人公に成り代わるのですが、
これが、往年のオスカルさまを愚連隊風に焼き直した感じで、今風にかっこいいのです。
原作とはかなり違いますが、まるでエッチングで描いたような画風で麗しいです。
美しいレースをふんだんに使った衣装が血染めになるのは壮絶なくらい美しい!

物語はやはりベルばらと同じフランス大革命の時代で、

しかも主人公はムッシュー・ド・パリといわれた死刑執行人でした。

チラシには池田理代子さんが「独特の美意識に貫かれていて…」と褒めておられましたので、

おお!面白そう~!!と興味をもったのでした。

この漫画には原作がありました。

それがこの『死刑執行人サンソン』なのです。

筆者はフランス文学者の安達正勝さんとおっしゃる方です。

この方は、他にもフランス大革命期に活躍した人々について書かれた

著書が多くあります。

私は今、佐藤賢一さんの『小説 フランス革命』を読んでおりますが、

合わせて読むとより広い視野でフランス革命を理解できるかな、とも思います。

とにかく、フランス革命関連の本を読んでいて思うのは、

「革命」というものは、例えていえば、

鋭い切っ先の上にバランスを取りながら立つヤジロベエのようなもので、

一つ間違えれば「暴動」に転落してしまいかねないのです。

そうならないために、時は心を鬼にして

人々を粛正してしまわねばならない非情さが必要になるのですね。

あらぬ情をかけたりすると、それは単なる上部の人間の入れ替えにすぎなくなってしまう。

実際、あれほどの犠牲を払って断行したフランス革命ですが、その後たびたびのバックラッシュにあって

王政に戻ったり、帝政になったりしていますね。

中心軸を失った国というのは、もろいものです。

うかうかしていると、他の国に侵略されてしまう。フランスと言う国はそういう内憂外患の中を

生き抜いてきたという歴史があるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

パリの死刑執行人

さて、フランスにおける死刑執行人とはどんな人間なのか。

やはりどんな人間も死は恐ろしいものです。

ましてや、公衆の面前で顔色ひとつ変えるでなく、

人を殺してしまえる人間に恐怖すら感じしてしまうのは

自然な感情かもしれません。

死刑執行人というのは、単なる殺人者とは違います。

公の裁きを受けて、その罪状が「死刑」となったもののみ、

死刑執行人は自分に負わされた役を執行するのですね。

ですから、私情にかられて、怒りや憎しみをもって

人を殺めるのではない、ということをまず確認しておく必要があります。

しかし、死刑執行とは、言うは易いことながら、

ただ単に刀や斧を振り回していれば人は死ねるのかというとなかなかそうはいかないもののようです。

特に、斬首の場合、死刑執行人は毅然とその場に臨まなければなりません。

殺されるほうだって怖いに決まっています。

この殺すほうと殺されるほう、そうして衆人環視の何とも言えない緊張感の中で、

振り下ろす一撃のみで人を死に至らせるのは、かなりの熟練した技と度胸が必要だそうです。

とにかく、さっと殺してやらないと、どうせ助からない人間に何回も何回も切り付けなければならず、

いたずらにその人の尊厳を傷つけ、そして同時に苦痛も味合わせてしまうのです。

当時、斬首される人間というのは、貴族だけの特典!だったので、

死ぬ前にはみな盛装をしてその場に臨んだのです。

アン・ブーリンしかり。メアリー・スチュアートしかり。

こういった人々は美しく斬首してやらなければならないのです。

そうでなければ、場合によっては見ている人間の憎悪も引き起こし、

時には執行人が公衆から殺される場合もあったようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 国王から授けられた秩序の執行者

しかしながら、細心の注意を払って刑を執行したとしても

それを喜び、いたわってくれる人間なんていないのが現実です。

死刑執行人には触れられるのも汚らわしい、おぞましいと思うのが当時のふつうの人々の

偽らざる感情だったようです。

しかも、死刑執行人というのは、世襲制でその役から逃れることができなかった。

王が生まれた時から王に生まれつくように、

死刑執行人も生まれた時から、死刑執行人だったということです。

とたえ、死刑執行人がイヤで、どこか遠くの地へ逃れ

何か別の商売を始めたとしても、

何かの拍子に彼らの氏素性を知ったとたん、

彼らは世間から締め出しを食らってしまいます。

つまり、早晩廃業に追い込まれてしまう。

また、隠しおおせたとして、子供がある時、親や先祖の素性を知ったとき、

子供はなんと思うでしょう?

きっと自分がそうとは知らずに受けついてしまった「死刑執行人」という血を呪うに違いありません。

そういう重責を担ってきたという先代の苦労を知らず、侮蔑に走るのはたやすいことです。

そうであってはならないのです。

天から定められた苦しい役目であっても、

それをきちんとまっとうしなければならない責任が自分たちにはある。

自分たちがいればこそ、この国の秩序が保たれる。

犯罪人は何が怖いといって、「死刑」と罪状が書かれてある判決文が怖いわけでもなく、

それを書いた羽ペンが怖いわけでもない。

彼らが恐れるものは死刑を遂行されることだけだ。

遂行されなければ、この国に秩序はもたらされない。

犯罪を罰し、無辜の民を守るために、神は国王の手に剣をゆだねた。

国王みずからがこれを実行することができないため、

国王はこの任務を死刑執行人たるべく私にゆだねられた。

そういう矜持がなければ、こんな仕事できるわけがないのです。

人間としてまっとうに生きるには、つらい現実に目を背けるのではなく、

しっかり見開いてそれをじっと見続けるという度胸が必要なのですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

二律背反の中で生きて

ですが、この死刑執行人という立場の人間は常に二律背反の中で生きていかねばなりませんでした。

彼らは、ふつうの市井の人々から嫌われ、恐れられ、

食べ物などのごくごく普通の日用品を買うのも困難なときがありました。

そして、意外だと思われますでしょうが、やはり死刑執行人というのは、

きちんとその職務を果たすためには、体の構造もしっかり把握しなければならず、

 かなり専門的な医学の知識も必要でした。

また、高等法院の末端に属していましたから、書類などもきちんと書けなければならず、

やはりそれなりに教養も必要だったのです。

サンソン家が立派な教育を受けさせるだけの財力はありますが、

受け入れてくれる教育機関は皆無に近い

結局、遠くの学校へ素性を明かさずに入学させるか、

個人的に家庭教師をつけるしかない。

それですら、大変な困難が伴うのです。

とはいえ、もっとも卑しむべき職業といわれながら、国王からの特権や報酬などは

そこらへんの貴族にも引けは取らないくらい多く、

実際、彼らはブルジョワか貴族のような財産をもち、生活も豊かでした。

また、医者といしての腕前も一流だったので、

やはり、怖いとかいってられない重篤な病気の人もサンソンの家にやってきました。

サンソンは、この副業の医師に非常な喜びを覚えていたようです。

人の命をうばいもするが、その代わり、病気の人や大けがをした人を助けることができると。

サンソンは貴族からは結構な報酬を受け取ってはいましたが、

お金の無い人からは一銭もとらなかったということです。

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サンソン家の系譜

さて、このパリの死刑執行人の家系である

サンソン家は初代から六代続いています。

初代サンソンは、ふつうの家庭に育った軍人でしたが、

あろうことか、死刑執行人の娘にそれとは知らず、熱烈な恋をしてしまったのです。

恋をしたまではよかったのだけれど、彼はその娘に手を出したのです。

父親は、娘が貞操を失ったのをみて非常にけしからんことだと怒り、

自分の商売道具で娘を拷問にかけたのです。

普通死刑執行人の一族は、死刑執行人の家どうしとしか婚姻はできませんでした。

それなのにどこの誰ともわからない男に傷物にされた娘なんて嫁に出せない、と思ったからです。

それを見たサンソンは観念しました。もともと自分が悪かったのです。

拷問にかけられる娘が可哀そうでした。

そして処刑人の娘であろうと、自分は結婚しようと決心しました。

これは運命なのだと。

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シャルル・アンリの苦悩

さて、そうやって淡々と職務をこなしてきた

サンソン家の人たち。

この中でとくに有名なのは巷でも「大サンソン」といわれる

フランス大革命時代を生きた、シャルル・アンリ。

彼は初代から数えて四代目に当たります。

あるとき、彼は「八つ裂きの刑」を執行せよとの通達を受けます。

しかし、これは人間の四肢を四頭の馬に放射状にひかせるというなんとも酷い死刑の方法でして、

非常に苦しい割には、なかなか死ねない。

これまででも「車裂き」という刑を、何回か執行したことがありますが、

これもかなり残酷な刑でしたが、「八つ裂きの刑」の比ではありません。

実際に、シャルル・アンリは八つ裂きの刑を執行して、そのあまりの残酷さに

打ちひしがれる思いをしました。

彼は思います。

「いくら秩序を維持するといっても、これほどまでに非人道的な処刑というものが

あっていいはずがない」と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ギロチンの発明とその功罪

今でこそ、ギロチンというとその残酷な処刑法で有名ですが、

それは相対的なもので、

やはり、車裂きの刑や八つ裂きの刑の残酷さ、死ぬまでの苦痛の持続の長さなどを考えれば、

ということを考慮しなければなりません。

ギロチンは、失敗が単なるサーベルで首を断つより少なく(誰もがやって成功できるわけではない)

そして、貴族だけが斬首できたことを思えば、どんな身分の人間でも適用されて

平等な温情ある処刑方法だ、と発明当時は思われたのです。

このギロチンの開発には、ギロチンの名前の由来のギヨタンとサンソン、そしてルイ16世が

関わっていました。

ルイ16世は、どうも鈍重な人のように思われがちですが、

結構理系で非常に精密科学への造詣が深く、頭脳明晰な人だったといいます。

ギロチンの刃についても、最初は丸い刃を採用するはずだったのですが、

ルイ16世が「それでは失敗する可能性がある」と指摘して

最終的には今日知られるような形になったといいます。

貴族のようにいざとなれば死ぬこともいとわないという胆力がある人ならいざ知らず、

普通の人間には、斬首という刑そのものを執行することが非常に難しいのです。

なぜなら、もう死刑台に上がった時点で、人間はもうあまりの恐怖に体を垂直に立っていられることすら

できなくなるからなのです。

というわけで、ギロチンは寝そべらなければクビは刎ねられませんので、それなりに合理的な

ものだったのでしょう。

しかし、確実にすばやく死刑ができるということが、災いしてしまうのです。

今まで、物理的に一日にそう何人も処刑することができませんでした。

しかし、ギロチンが出来たお蔭でスイスイ死刑が進みます。

フランス大革命のとき、シャルル・アンリが手をかけた人間は二千人とも三千人ともいわれいますが、

もし、ギロチンが発明されていなかったら、こうもたくさん殺されはしなかっただろうし、

人間が苦悶しながら、死んでいくのをみれば、やはり死刑というものは恐ろしいものだ、

と人々の脳裏にきざまれてしまうのでしょうが、

ギロチンはそういうことを考えさせるヒマもなかったようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

敬愛する国王の処刑

シャルル・アンリもやはり革命の時代に生きた人間、

第三身分に対する圧制は身に染みるほどよくわかっていました。

ですが、国王に対して非常な敬愛を捧げていました。

この当時の人々のほとんどは、王政廃止は望んでいなかったのです。

ただ、第三身分に対する圧制を緩めて、ゆくゆくはイギリスのように

絶対王権ではなく、制限付きの立憲君主制であったら、と願っていたのでした。

ですが、革命はどんどんと進み、悪いことに国王一家がヴァレンヌで逃亡が発覚したことが

王政廃止につながってしまいます。

国民を捨てて、よその国に助けを求めるような国王はもういらない!

世論はこれまで国王を擁護していましたが、一変してしまいす。

シャルル・アンリはこれまで二度、国王に会ったことがありました。

それはもう、本当に国王としての神々しいばかりの威厳も身に着いた

すばらしい方、と言う風にシャルル・アンリの目には映りました。

この方のために大切な仕事を引き受けているのだとさえ、思えたのです。

ですが、とうとう議会は国王の死刑を確定してしまったのです。

シャルル・アンリは目の前が真っ暗になりました。

シャルル・アンリの不幸というのは、

死刑執行人という逃れられない運命ももちろんですが、

彼があまりにもまっとうすぎるほど、まっとうな人間で、

かつ、人に対して非常に情けがある、温かい人間だったということです。

国王が死刑になる前の日は妻の誕生日で、

彼はせめてその日ぐらいは愛する妻をねぎらい、

楽しく過ごしてほしい、と思っていた。

しかし、そんなわずかな願いも叶えられなくなってしまう

妻が明日、夫が国王を処刑しなければならないことを知ってしまったから。

シャルル・アンリの妻は夫が真っ青な顔をして体を震わせているのをみて

本当に可哀そうに思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今まで、国王の命で行っていた死刑なのに、

こんどはあろうことか、その国王のお命までも奪うことになろうとは。

シャルル・アンリは必死で神に祈りました。

だれか国王の死刑を反対して、当日は大乱闘になるかもしれない。

何か奇跡が起こるかもしれない。

しかし、奇跡は起こらず、シャルル・アンリは心が凍り付いたようにしびれたまま、

まるで悪夢をみているように、国王をこれまでの罪人と同じように処刑したのでした。

シャルル・アンリは自分が国王を手にかけたということでパニックになってしまう。

そして、人づてに聞いた革命に協力しないいう「非宣誓派」の僧侶を探して、

国王のための鎮魂のミサを挙げてもらおうとしたことでした。

非宣誓派の司祭に国王の鎮魂のミサを挙げてもらうなど、ばれてしまったら

サンソンすら処刑されるような大胆不敵な所業だったのですが、

とにかく、信仰に篤いシャルル・アンリはそうでもしないと、正気が保てそうになかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このときのシャルル・アンリの苦悩はバルザックが描いています。

バルザックはサンソン家の人から綿密な取材を経てこの作品を書いたということです。

これはたぶん、フランス文学者である安達さんが、訳しておられるのだと思います。

調べてみましたが、この本は翻訳されたものは見つけられませんでした。

あまりに素晴らしいので掲載します。

バルザック作『贖罪のミサ』

 暖炉の二本の煙突の間に、二人の修道女は虫に食われた古いタンスを運び移していた。

そのタンスは非常に古い様式のものだったが、

祭壇に仕立てあげるために上からかけた緑色のモアレ織の布地で形が見えなくなっていた。

黒檀と象牙でできた大きな十字架が黄色い壁に取り付けられていたが、

そのために壁のむき出しさがよりいっそう際立ち、

どうしても視線が壁に引き付けられてしまうのだった。

ふたりの修道女は、すぐに冷えて固まる黄色い蠟を使って、

即興の祭壇の上にかぼそくて丈の低い四本のろうそくを固定させることに成功していた。

その四本のろうそくが弱い光を放ち、壁が少しだけ光を反射させていた。

光が弱いので、部屋の残りの部分はなんとかやっと見える程度だった。

しかし、聖なるものしか照らしていたないため、

その光は、飾り気ない祭壇に天から注がれてでもいるかのようだった。

タイル張りの床は湿っぽかった。

屋根裏の物置のように両側とも急勾配の屋根にはいくつか裂け目があり、

そこから凍てつくような隙間風が入り込んでいた。

この陰鬱な儀式以上にみすぼらしいものもなかったが、

しかしながら、これ以上に荘厳さにあふれるものもなかっただろう。

近くを通るドイツ街道で発せられるどんな小さい叫び越えでも聞き分けられるほどの深い静寂が、

この真夜中の儀式にある種の重々しい雰囲気を与えていた。

そして、これから行われる行為の持つ意味は非常に大きなものであるのに

周囲の事物があまりに貧弱という、そのコントラストから、

人に畏怖感を覚えさせるような宗教的雰囲気が醸し出されていた。

 二人の世捨人の老婦人はそれぞれ祭壇の両側、床の八角形のタイルの上に跪いた。

床のタイルは身体に障るほどにひどく湿っていたが、それにかまうことなく、

二人の修道女は司祭と一緒に祈りの言葉を唱えていた。

司祭服を身にまとった司祭は、宝石で飾られた金の聖杯を安置していたが、

これはシェル修道院の略奪を免れた祭器なのだろう。

王にもふさわしい豪華さを持つ記念物と言っていい。

この聖餐杯の傍らには、ミサ聖祭のための水と葡萄酒が、

場末の居酒屋でも見られないような粗末な二つのコップに入れられていた。

ミサ典書がなかったので、司祭は祭壇の片隅に職務日課書を置いていた。

ありふれた一枚の皿が、無垢で血に汚れていない手を洗うために用意されていた。

すべてが壮大だったが、卑小だった。

貧弱だったが、高貴だった。

俗世間的でありながらも、神聖だった。

「見知らぬ男」は敬虔な態度で二人の修道女の間に跪いた。

しかし、聖杯と十字架に黒い布がかぶせられていることに――というのも、

この死のミサが誰のためののものかを告げるものが全くなかったので、

神自身を喪に服させたからなのだが――そのときになって気づき

あまりにも生々しい思い出に襲われたため、男の広い額に汗のしずくが浮かんだ。

この場面を演ずる四人の静かな役者は、神秘的な気持ちにとらえられてお互いを見つめ合った。

そして四人の魂は、この上もなく強く互いに作用しあったので、

感情が通じ合い、宗教的憐ぴんの中に溶け合った。

 四人は、その遺骸が生石灰に蝕まれている殉教者を思い浮かべ、

殉教者の影が尊厳さにあふれて彼らの前に現れたかのようだった。

彼らは、亡き人の遺骸もなしに死者のミサを行っていた。

隙間だらけの屋根瓦と木ずりの下で、

四人のキリスト教徒はフランス国王のために神にとりなしを頼み、

なんの下心もなしに遂行された、忠誠の驚くべき行為であった。

神の目には、これは、最高の徳をも試練にかける、コップ一杯の水のようなものだった。

一人の司祭と憐れな修道女の祈りの中に、王政のすべてがあった。

そして、おそらくは革命もまたこの「見知らぬ男」によって代表されていたのであろうが、

その表情にはあまりにもはっきりした悔恨の情が浮かんでいたので、

男が心の底から悔い改めようとしていることを信じないわけにはいかなかった。

普通はミサの決まり文句をラテン語で

「さらばわれ、神の祭壇に行き、またわが慶び、喜ぶ神に行かん」と唱える習わしだが、

神的な霊感を受けた司祭はそれはせず、

キリスト教のフランスを象徴する三人の出席者を眺め渡して言った。

「われわれは、これより神の領域に入ります……!」

 心に染み入るような語調で投げかけられたこの言葉に、

男と二人の修道女は聖なる畏れの気持ちに捉えられた。

ローマのサン・ピエトロ寺院のドームの下といえども、

このキリスト教徒たちの目に、この貧困の隠れ家における以上に

神が尊厳さにあふれて姿をあらわしたことはなかったろう。

それほどに、人間と神との間にはいかなる仲介者も不要であり、

神はその偉大さを自分自身からのみ引き出すものなのである。

「見知らぬ男」の熱意は真実のものであった。

それゆえに神と国王の奉仕者たる、この四人の祈りを一体化する感情も共有されていた。

静寂の中、聖なる言葉は天上のように響いていた。

「見知らぬ男」が涙に捉えられた瞬間があった。

それは「我らが父よ(パーテル・ノストル)」のところだった。

 司祭はさらにそこに次のラテン語の祈りの言葉を付け加えたが、男にもその意味はわかったことだろう。

「また、弑逆者たちを、ルイ十六世自身が赦したように、赦したまえ」

二人の修道女は「見知らぬ男」の雄々しい頬を伝って大粒の涙が湿った道を描き、

床にしたたり落ちるのを見た。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

文豪の筆が冴えわたりますね。

さて、ここからが本書の最大の頂点なのですが、

しばし、本書を抜粋させていただきます。

ミサが終わった後、司祭は二人の修道女に合図して隣の部屋へ行ってもらい、「見知らぬ男」と

ふたりきりになった。

「わが息子よ、もしあなたが殉教の国王の血に手で染めたのなら、私に正直にいってほしい…。

神の目には、あなたが抱いているほどの感動的で誠実な改悛の情によって

帳消しにならない過ちなどというものはないのです」

「殉教の国王の血に手で染めたなら」と言う言葉をみみにしたとき、サンソンは一瞬

ぎくりとし、我知らずに体を痙攣させてしまった。

自分の正体がばれてしまったのかと思った。

しかし、司祭は死刑評決をした国会議員たちのことを思い浮かべたに過ぎなかった。

司祭は「見知らぬ男」が自分の言葉に異様な動揺を見せたことに驚いていたが、サンソンは

気を取り直し、落ち着いた目で司祭を見つめながらいった。

「神父様、流された血に対して、私ほど無垢なものはいません…」

なんとか、こうは答えたものの、声は完全に裏返っていた。

確かに国王の死を決定したのはサンソンではなかった。ただ、道具にされただけだった。

それでも、国王の死刑執行は自分の責任においてなされた。たとえ意に反してであろうとも、

国王の処刑に関わってしまった自分は、やはり大きな罪を犯してしまったのではないだろうか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こうした経緯を経て、シャルル・アンリは死刑廃絶を望むのです。

やはり、人を裁くことは人にはできない。

なんとなれば、善悪の基準はその時、その時の人間の価値観で変わるものだからだ。

人を裁くことができるのは神のみ。

しかし、実際にフランスで死刑廃絶になったのは、1981年。

長い道のりだった。


親を選べなかった青年の不仕合せ  『未成年』 ドストエフスキー [読書&映画]

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 この画像の主人公の顔は

小説にあるとおり、貴族的な高貴さと

農奴の野卑さが半々に混じっているように思える。

やっとの思いでドストエフスキーの『未成年』を読了しました。

一応、これでドストエフスキーの大きな傑作と言われている

五つの作品は読了したことになります。(『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』

そして、本作品である『未成年』)

この『未成年』ですが、ロシア文学は登場人物の名前の語尾が

男と女では変わってきたりするんで

なかなか読みにくい、と言われているんですが、

特にこの『未成年』はそういう意味でほかの作品より、群を抜いて難しいです。

というのも、機能不全の一家を描いているので、

主人公の実質上の父親と戸籍上の父親の名前が違うから、余計にややこしい。

そして、例えば、「アンドレイ・ペトローヴィチ」などと作中人物が呼びかけていたりすると、

(実は主人公の父親のヴェルシーロフのことなんだけど)

「誰だっけ?この人?」

みたいになって、迷路に迷い込んだようにハタと立ち止まることになるんですよ。

ですから、最初にググッて、ウィキの人物表をコピーして読むほうが

混乱せずに読めると思います。

通常、このように難解な本には必ず、表紙の裏側とか、付属のしおりなどに

人物の名前とカンタンな経歴が書かれてあったりするものなのですが、

そういう親切が一切ない、かなりキツい本です!

また、この本が書かれた当時のロシアの思想なんてものは、全くわからないし、

ましてや、ロシア正教の教えとか、ロシアの民衆の気持ち、ロシア貴族の矜持みたいなものも

全くわからない。

ですから、正確に物事をとらえようとするのは無理だと判断しました。

多分、こういうのは、もう一生かかってもわからないでしょう。

しかし、こういうわからなさを補ってあまりある普遍的な魅力があると断言しましょう!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

未成年 上巻 (新潮文庫 ト 1-20)

未成年 上巻 (新潮文庫 ト 1-20)

  • 作者: ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/05/27
  • メディア: 文庫



未成年 下巻 (新潮文庫 ト 1-21)

未成年 下巻 (新潮文庫 ト 1-21)

  • 作者: ドストエフスキー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/06/22
  • メディア: 文庫


う~む

この超魅力の無い表紙、なんとかならないんですかねぇ。

いくら、難解といわれるロシア文学と言われていても、

もうちょっと魅力的な表紙なかったんかい?と思います。

まったく食指が働かないこの表紙…。

読者に「どんな話なんだろう?」と想像の余地を残すような、

そんな本づくりがあってもいいと思うのに。

これじゃあ、「読みたいやつだけ、ついてこい!」みたいな感じ。(星一徹か~~)

読書離れが激しい昨今ですが、出版社さんも

もうちょっと努力してほしいな、と思います。

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この未成年はドストエフスキーの五大傑作と言われながら、

長らく刊行してなかったそうです。

実際、この『未成年』を抜いて巷間では

ドストエフスキーの大作の傑作は四つとも言われているそうですが…。

やっぱり、他のものと比べるとインパクトが薄いような気もするのです。

でも、私の個人的な感想をいえば、『白痴』は本当に読むのがつらかったし、

白痴といわれる主人公ムイシキンに同情はするけれど、共感するにことは到底できませんでした。

それからいえば、こっちのほうが断然面白いけどなぁ。

ドストエフスキーは、機能不全の一家を書くのが非常にうまい作家さんでして、

たとえこういう陰惨なことが、家の中で起こっていたとしても

闇から闇に葬り去るのが世間一般の通念だったその当時、これほどまでに赤裸々に、

しかも綿密でリアルな心理描写をした作品が世に出たこと自体、ほとんど奇跡のような気がしますし、

しかも、ドストエフスキーの作品は、必ずサスペンスの要素が入っていて

最後になってくると、迫力が加速されていって、ページを繰るのがもどかしくなるほど

エンターテインメント性も強かったりするのです。

単なる教養小説ではない面白さがあります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本作品は、一見地味ながら、語り口は一人称で手記の形式をとっておりまして、

かなり出だしのインパクトが強いです。

私はたいてい、上巻が終わったところで、作品の解説書などを読んで

作品理解のための下地作りというのを怠らないのですが、

この作品は一切そういうものもないのですね。

頼みの綱は下巻の巻末にある二人の方の解説のみです。

ですが、救いがあるとすれば、翻訳された工藤さんの訳がなめらかで自然な日本語なところです。

しかしながら、読んでいると、作中人物の言っていることが、悲しいかな、ロシア人ではないので、

よくわからないことが多くて・・・・。

いつか岩波とか光文社などから、詳しい解説つきの新刊がでたらいいなぁと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、あらすじに参りましょう。

これは端的にいえば、まだ未成年(ロシアの成年に達する年齢がそもそもわからないけど

20前後でしょうか?)のアルカージィとその父親アンドレイ・ヴェルシーロフの話なんです。

ここで思い出すのが、ツルゲーネフの『父と子』です。

あれも、狂言回しの青年がアルカージィでしたが、

この名前にしたのは、偶然じゃないような気がします。

どうも、ドストエフスキーはツルゲーネフがそうとう嫌いだったみたいで、

『悪霊』の中でも『父と子』の中の実際の主人公であるニヒリストの主人公を徹底的に

こき下ろすシーンも出て来たり、

作中の老大作家はツルゲーネフをモデルにしているといわれていますが、

その容赦ないカリカチュアの仕方は、「お前、どんだけキライなんだい!」って

ツルゲーネフさんが気の毒になるほどです。(汗)

もしかしたら、このツルゲーネフの向こうを張って、自分なりの『父と子』の物語を

描いたのかもしれない、と私は思っています。

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貴族の私生児 アルカージィ・ドルゴルーキー

さて、主人公の名前はアルカージィ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキーといいます。

しかしながら、もうそこに誤謬っていうものが生まれていて、

実はアルカージィは戸籍上の父親であるマカール・ドルゴルーキーとは

一滴の血も繋がっていないのです。

彼はドルゴルーキーの妻であった母親であるソーフィアと

この夫婦の雇い主というか、主人であった貴族のアンドレイ・ヴェルシーロフとの

間に生まれた不義の子供だったのですね。

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ドルゴルーキー夫婦というのは、ヴェルシーロフ家に仕えていた召使ですが、

単にお金で雇われていたというより、ほとんど奴隷のような僕婢です。

要するに農奴ってヤツです。人権なんて全く認められてないんじゃないかな。

この頃はさすがに農奴解放令はでていたはずですが、

昔からの因習として、そういうのが残っていたんでしょうね。

今まで奴隷で来たものが、「明日から奴隷じゃなくて、生きたいように生きなさい」

と言われても、お金もないし、そういう人間としての自主性とか、教育もないものに、

自由を与えてやっても途方にくれるだけですから。

彼らはこんな風に、もう徹頭徹尾、奴隷根性が生まれた時からしみついてしまっているので、

主人が自分の妻を寝取ってしまうということに対しても怒らない。

仕方がない、で諦めてしまうんです。

そこらへんが、すでに近代化されつつある西洋の社会とは違う

ロシアの病の深さかな、とは思うんですが。

もうそういう出生から、アルカージィの悲劇は始まっているといえそうです。

父親のヴェルシーロフは家僕のソーフィアとの間にアルカージィとリーザのふたりを

儲けていますが、

正妻との間にも男子と女子の二人を儲けています。

ヴェルシーロフは嫡出子、婚外子に限らず子供には全く無関心な男でして、

子供四人は生まれてから、全員里子に出されていました。

しかも、里子に出すという判断も父親自身が采配を振るった結果ではなく、

周りのものが見るに見かねてそういう判断を下したのです。

当のヴェルシーロフはもしかしたら、アルカージィが生まれた、という認識すら

なかったのかもしれない。

ま、なんといいますか、本当に旧態依然とした貴族らしいやりようといえば言えますよね。

フランス革命以前の大貴族なんかはこういう子供に一片の愛情もかけてやらない人間は

当たり前にいたようですし。

しかし、あの革命からどれだけ時代が過ぎていますか? ほぼ1世紀ですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と、いうわけで

主人公アルカージィは、ずっとモスクワの里親のもとで暮らしていた。

そして、まあ、中学校まで出させてもらっていたのです。

今の感覚でいうと中学しかでてないの?

って感じですが、当時の中学は昔の日本の旧制中学に似たようなものだろうし、

ほとんどの人が小学校ぐらいで教育が終わっていたことを考えると

この中学校を出たということは、かなり高等教育を授けられた、ということになるのです。

アルカージィは中学校の最終学年になる前までは、非常に学業が優秀でしたが、

自分が貴族の私生児である、ということをはっきり自覚するようになると、

なにかこう、鬱屈としたものが心に生じて、最高学年の成績がガタ落ちになり

大学に進学するのもイヤになってやめてしまったのです。

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というのも、いつの世にもあることですが、

こういう貴族の男と卑しい身分の女の間に生まれた人間って

いわゆるコウモリみたいなもので、

貴族の社会にも、また、平民というか農奴というかそういう下賤な人々の間にも

立ち混ざれない孤独な存在なのです。

だいたいにして、親の不義という事実自体、子供をこてんぱんにするものもなくて、

親というものがそもそも生まれた時点で敬愛できないじゃないですか?

自分は罪の結果の産物なんだ、ということを人にも言われ、自分でも自覚しながら

生きていかなければならない幼年時代を過ごすことは、子供にとってとても不幸なことです。

そもそも、子供は親を選べないのであって、罪の子であっても、

その子供には何の罪もないのですよ。

そう思うと、とてもアルカージィに同情してしまいます。

そうやって、まだ未成年の彼は、自分の中に一つの決心というか

人生の指針というものを見出すのです。

それは、何か―。

これが泣かせるのですが、どんなに貴族から侮蔑的な扱いを受けようと、

自分は目に見えぬ亀の甲羅を着て、いざというときはその中に閉じこもって

そんな扱いをも柳に風と受け流してしまえる術を身に着けること。

そのためには、ロスチャイルドのように、お金をコツコツと貯め、

拝金主義者どもをひざまずかせること。

自分はお金にくらむわけではない。

だが、お金というものは力がある。自分はその力を身に着けたいのだと。

ああ~。読んでいて胸が痛くなります。

愛に餓えて孤独に育った子供はそんなふうに考えるもんなんですかねぇ~。

また、彼は今のところの「自分の理想」を論破されないために寡黙でいることを

自らに課した。

…しかしながら、こういうタイプの人間って孤独なもんだから常に二律背反の行動を

していしまうもんなんですねぇ。

というのは、やはり人間、全くの沈黙に耐えながら生きていくことはなかなか苦しいものなのです。

だから、いつも饒舌にならないように、と気を付けていても、何かの瞬間、

しゃべりたい、という欲望にふたをすることができなくなるもなのです。

自分の胸に秘めていることを誰かに話して「立派なことだねぇ!」と

称賛してもらいたい、認めてもらいたい、という欲求が抑えることが時としてできなくなる。

しかし、そうやってしゃべりすぎた後、どっと後悔の嵐がその身を苛むことも

かなりアルカージィには辛いことだとわかってはいたのですが…。

また、あるところでは非常に意味深長なことも書かれていまして、

ほとほと私を感心させたのがこの一文。

『わたしはワーシンのそばへ寄ると、すっかり嬉しくなって彼を褒めちぎった。それがどうだろう? 

もうその晩には、私はもう彼をさっぱり愛していないことに気づいたのである。なぜか? 

彼を褒めちぎって、そのこと自体によってわたしは彼の前に自分を卑下したからである。

(中略)

中学校へ入ったばかりの頃から、学友の誰かが、勉強とか、気が利いた返答とか、体力とかで

少しでもわたしを抜くと、私はすぐにその生徒と遊んだり話したりすることをやめた。

その生徒を憎むとか、しくじりを願うとかいうのではない。

ただ背を向けてしまう。それがわたしの性分なのである。

そうだ、わたしは生涯ずっと威力を渇望し続けた。威力と孤独をである。』

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同じ兄弟とはいえ、
貴族の嫡出子の兄とアルカージィとでは
扱い方が天と地ほどの差がある。

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アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ

とまれ、アルカージィは中学校を卒業したあと、モスクワをあとにし、

今までほとんどあったことのない両親と妹に会いに行くのだった。

彼は今までのことから、両親から温かいもてなしなんかを受けることなんかは

夢想だにしなかった。ただ、自分の実の父親とはどんな男なのか、興味があっただけ。

どんな悪党なんだろうとね。

しかし、モスクワではちらと耳にはしていましたが、

ペテルブルグの両親は、まさかこれほどというくらい、貧乏生活を強いられていたのです。

というのも、父親のヴェルシーロフは、絶対に自分が豊かだったころのライフスタイルを

変えようとせず、今まで相当な遺産があったにもかかわらず、

それを全部蕩尽させてしまっていたのでした。

それでいて、じゃあ、どんなろくでなしなのか、と思いきや

結構、ヴェルシーロフはかなり魅力的な男なんでした。

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…しかし、私にしてみれば、こういうよくわからない人間が一番厄介だと思います。

悪者なら徹頭徹尾悪者でいてくれたほうが、アルカージィのような人間は

却って救われるんですよ。

こういう、白か、黒かわからない、グレーゾーンにいる人間というのは、

人に「もしかして?」とあらぬ期待をさせるものなのです。

だいたい、DVする男ってこういうグレーゾーン型が多いんですよ。

めちゃくちゃひどいことをされながら、雨上がりの空みたいに、ぱっと光がさすような

そんなやさしさを垣間見せるというか。

人間は弱いものだから、そういうたまさかのやさしさが

その人の本質だと思いたくなるもんなんですよねぇ。

それで永遠にその暴力の呪縛から逃れられないというか…。

ドストエフスキーはそういう病理をよくわかっておられますね。

とにかく、ドストエフスキーの五大傑作といわれる作品は

両親が揃って健全な家庭というものは皆無です。

『罪と罰』と『悪霊』はたしか父親が早く亡くなっていて不在だし、

本作品と『カラマーゾフの兄弟』は、父親がこんな具合にダメ親父だし、

『白痴』はどうだったのかなぁ? ムイシキンはたしか公爵だったような気がするけど、

孤児ではなかったっけ?(ごめんなさい。うろ覚えです。)

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事件の発端 

ペテルブルグに住むようになってまもなく、アルカージィは

中学時代の友人の集まりに参加した。

そこで、友人を介して紹介されたクラフトという男がいた。

アルカージィより、ちょっと年配で26歳だという。

そこでクラフトは「あなたに関係あるある手紙を一通もっている」という。

さて、クラフトが持っていた手紙というのは、どんなものだったのか。

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それは、ひとつひとつ言うと非常に複雑でかえって読み手の方を混乱させるので

端折って言いますが、実の親であるヴェルシーロフは遺産の訴訟をしていて、

今のところはヴェルシーロフに有利にことは進んでいるけれど、

この手紙は、ヴェルシーロフにいささか不利になる文言が書き留められているということ。

クラフトは、自分にはどうすべきか判断に迷うので、実の息子である

アルカージィにこの手紙を託す、ということだった。

結局、このことが幸いして、アルカージィは実の父ともそうとう近しくなるのです。

訴訟に勝って、ヴェルシーロフは大金を手にしました。

今までは、貧窮に喘いでいた一家ですたし、アルカージィも前述した

一種独特の独立不羈の信念を貫くはずでしたが、

お金の力って怖いですね。

あっという間にそういった信念も崩れて、アルカージィも父親のヴェルシーロフよろしく

あぶく銭を、その名の通りあぶくのように蕩尽し、

身なりも上流貴族と見まごうような超一流のものを身に着け、

ルーレット賭博にまで手を出すようになりました。

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アルカージィは金という威力を身に着けたからには、向かうことろ、敵なし、と思ったのでした。

ですが、まさかの出来事が出来します。

賭博場で「いかさま」をやったと濡れ衣を着せられてしまうのです。

それも、自分が本当の貴族ではなく、卑しい女との私生児だというだけの理由で!

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聖痴愚 マカール・ドルゴルーキー

あまりにショックを受けて、アルカージィは熱を出し、

何日間か昏睡状態に陥るのですが(ドストエフスキーの登場人物はすぐにこうなる)

その間に、アルカージィの戸籍上の父親である、マカール・ドルゴルーキーが

ペテルブルグの母親の家にやってくるのです。

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この男もなんていうのか、ちょっと日本人にはなじみにない感じの男で、

要するに、ロシアによくいる聖痴愚と言われる部類の巡礼者なのです。

全くの正当な正教の教えからは外れているのでしょうが、

ロシアの小説にはこの聖痴愚というタイプの人間はよく出てきます。

日本でいうところの、能なんかに出て来る旅の聖みたいなもんでしょうか?

こういう人は別に、教会や寺院で戒壇を受けて正式な聖職者になったわけではなく、

勝ってに世を捨てて、巡礼している人たちです。

まともに聖書も読めなきゃ、当然聖職者なら知っているはずの神学や哲学なんぞも納めていない

ただの遊行の聖です。

ですが、こういう人というのは、一種の神聖さをまとっているというか、ある意味、知力を備えた

聖職者より、貴いところもあるので、よく民間ではあがめられたりもするんですが…。

まあ、ドルゴルーキーはお屋敷のご主人さまに妻を寝取られて、不平もいわず、

巡礼になったのでした。

そこがなんか私には腑に落ちないところでもあるんですけれどね~。

で、解説によりますと、このドルゴルーキーはドストエフスキーの次の小説である

『カラマーゾフの兄弟』に出て来る高徳の僧侶であるゾシマ長老に先駆ける人物らしいですが、

ちょっとそれは飛躍しすぎなんではないかなぁ~と読んでいて思うわけです。

どうも薄っぺらい印象が免れないんです。

きれいごとしかいわないというか。

一番、不思議なのは、そんなに立派な男がうまうまと自分の女房を人に取られて黙っているのか?

おかしいだろ? もっと怒れよ~、なんで怒らないんだろう? と思うのです。

母親のソーフィアと戸籍上の父親のドルゴルーキーはほとんど親子ほど離れていて

実際、ソーフィアをわが娘のように育て上げたのがドルゴルーキーだったんです。

そして、ソーフィアが18歳のとき、嫁にもらい受けたのですね。

そこに、お屋敷の若様が来て、ソーフィアをわが物にしてしまったのです。

ソーフィアは若様に盾突いて否やとは言えなかったのかもしれませんが、

でも、こう自分というものがなくて、人のいいなりになってしまう、というのは

どうなんでしょうかねぇ。

まぁ、出会ったときのヴェルシーロフは、当時妻を亡くしたばかりで、25歳の輝くような

美青年だったのです。

そのとき、ソーフィアは18歳だったし、もうすでに50歳を軽く越えた実の夫よりも

ヴェルシーロフが魅力的に見えたに違いは無かろうし、実際、憧れていたんでしょう。

でもね、別にソーフィアは『悪霊』に出て来る農奴出身のダーシャみたいに

飛びぬけた美人というわけでもなく、ただただ純朴な田舎娘だったのです。

ヴェルシーロフは、どういうつもりでソーフィアが気に入ったのか、そこはそれ

男女の愛の難しいところなんですが、

思うに、こういう鈍いといっていいくらい素朴な女の傍にいるということは

魂の高揚などはないぶん、リラックスして和むという効用があるのかもしれないです。

まあ、なんにせよ罪なことには違いない。

最期にマカールは、あのときソーフィアを赦して旦那様に渡してやるのではなく、

したたかに鞭で打ちすえて己の犯した罪をわからせるほうが慈悲だった、みたいなことを

言っていますが、それは本当にそうだ、と私も思います。

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運命をあざなえる三人の美女 リーザ、アンナ、カテリーナ

そしてまた、この小説には主要な三人の美女が登場します。

ひとりはアルカージィの妹のリーザ。

彼女は『悪霊』の中のスタブローギンの幼馴染のダーシャを思わせるところがあり、

あろうことかそう好きでもないのに、セリョージャ公爵の子供を宿していたりして、

よくわからない謎な妹です。

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もう一人は、億万長者のソーコリースキー老公爵の娘で

アフマーコフ将軍の未亡人である、カテリーナ・ニコラーエヴナ・アルマーコワ。

この人はいくつくらいなんでしょうか?

多分三十前後。もう絶世といっていいくらい美しい人なんです。

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アルカージィはこの人に憧れて、好きになってしまう。

三人目はアルカージィにとってみっつ年上の異母姉である、

アンナ・アンドレーヴナ・ヴェルシーロワ。

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この三人は、一見素晴らしく上品で立派な心映えの女性に見えるのですが、

本当の腹の中はよくわからない。結構、あくどく汚いことも考えていたりするのですが、

頭が相当にみんないいので、容易にそれを悟らせてくれません。

特にこのカテリーナとアンナの対立というのは、

カラマーゾフの兄弟のドミートリィをめぐるカテリーナとグルーシェンカを思わせるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、そんな中、ソーフィアの名前ばかりの夫であったマカール・ドルゴルーキーが

老衰のため、亡くなります。

ロシア正教の教えでは、離婚はできず、

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母親のソーフィアとヴェルシーロフは実質上は夫婦であっても、

きちんとした結婚はできなかったのでした。

アルカージィは、今度こそヴェルシーロフも母親と結婚するだろう、と思うのですが、

しかし、そうは問屋は降ろさなかった。

実は狂乱の恋に悶えていたヴェルシーロフは、何もかも捨てて、

ある女に結婚を迫ろうとするのです…。

たぶん、ヴェルシーロフのような男は、生涯男として現役でいたくて

収まる所に収まりたくないのだろうと思います。

いかにも、ロシア貴族らしい手前勝手な人間の考えそうなことですね。

とはいえ、その気持ち、わからないでもないです。まだヴェルシーロフは40代ですしね。

ここら辺の油ギッシュな感じは、カラマーゾフの極道オヤジのフョードルに通じるものがあります。

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ここからは、手に汗握って本を読んでほしいですね!

ドストエフスキーの小説の展開の仕方は

たいてい決まっていまして、

途中までは、みな理性的でほどよく自制が効いているのです。

西洋的な知性のとれた貴族的な雰囲気ですらあるのに、

どうしたはずみなのか、そういった上っ面は途中から吹き飛んで、

ロシア固有の血の濃さゆえなのか、狂気が支配するのです。

そして、コツコツとそれまであらゆる登場人物が築いてきたものを

突然、怒涛の嵐が巻き起こすごとく、あらゆるものをなぎ倒していって

すべてが空中分解してしまうのです。

そういったカタストロフィーも楽しんでいただけたらな、と思います。


狂気と正気のはざまで   シャッター・アイランド [読書&映画]

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最近、HULUに入会しました。

結構、映画館へも行っているような気がしますが、

やはり、見逃した映画も多々あります。

以前はTUTAYAに行ってレンタルしていたのですが、

一定額で映画が見放題だともうクセになりますね。

楽だし、手軽だし。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今回はそうやって見た作品の中から

大変印象に残ったものを一つ、紹介します。

それはシャッター・アイランド。

監督はマーティン・スコセッシ。

主演、レオナルド・ディカプリオ。

う~~ん、レオさま渋いです!

レオさま、若いころは長身痩躯で金髪碧眼のものすごい美青年でした。

でも、本当のことをいうと、私は個人的にいえば実は造型的にそれほど好きな顔でもなくて、

(というか、私はわりと細面の顔が好きなので)

それほど、レオさまの作品を積極的にみようか、という強い意欲はなかったのですが、

最近、そうだなぁ、『インセプション』とか『レボリューショナリー・ロード』などを

見たころからでしょうか、

壮年に達したガタイの良いレオさまは、若いころとはまた違って、

ものすごく魅力的だな、ってことに気が付いたんですよ。

オヤジになってからのレオさまのほうが、若いころより断然いいです。

壮年に達してもなお、目だけは若いころと変わらず、澄み切ってイノセントで、

それがとても悲しいくらい雄弁に語りかけて来るようで。

レオさまは、常に妻や子供との平凡で穏やかな毎日を希求しながら、

それが叶えられない悲しい男を演じると右に出るものはないような気がします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、あらすじ。

1950年代初頭。アメリカ。ボストン・ハーバー。

連邦保安官のテディこと、エドワード・ダニエルズ(レオさま)と捜査部隊から駆り出されたチャックは

ある事件の捜査を依頼された。

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それは、重篤な精神疾患のある犯罪者のみを収容したボストン・ハーバー沖の断崖絶壁の孤島に赴き、

そこで脱走した女囚レイチェル・ソランドを捕らえてほしい、というもの。

ここの患者は野放しにしておくにはあまりにも危険すぎる人物ばかり…。

件のレイチェルも、自分の子供三人を池で溺死させたという。

ここはまさに、その名の通り、シャッター・アイランド。

陸と孤島を行き来するフェリーに乗らない限り、

絶対に島から脱出することはできない。

しかも、フェリーに乗るまでには、果てしない検問を潜らなければならないのだ。

そんな物騒なところへなぜ?

でも、テディには個人的にそこへ行って確かめなければならないことがあった…。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで、テディはある不幸な経験を背負って生きていた。

それは、第二次世界大戦中、彼はポーランドのダッハウのユダヤ人収容所の

解放に参加していたのだが、

そこで何百というユダヤ人の遺棄されて凍り付いた死体を目にする。

まるでこの世の終わりのような凄惨な光景。

特にテディはその死体の山の中にある、一つの母娘の姿が脳裏から消え去ることはなかった。

まだ幼い娘をかばうように、抱きしめながら目を閉じている母親。

また、幼い女の子のあどけない死に顔。

あまりに酷く、それでいてその親子の姿は

人間が表現しうる究極の愛の強さを、見るものに訴えかけてくる。

その一方で、同じ敷地内に立つ、残酷な殺戮をやってのけるナチの党員の住居は、

それがまるで同じ土地にあるのが不条理に感じるほど、贅をつくしたものだった。

しかし、連合軍がユダヤ人解放のためにやってくると、

ナチスの将校たちは観念して自裁した。

テディが踏み込んだある将校の屋敷の部屋には、死のうとして、ピストルの引き金を引いたものの、

当たり所が急所からずれていて、死にきれずもがいていた将校がいた。

血溜まりの中でもがく瀕死のナチスの男。

そんな場所に、場違いのように美しいマーラーのピアノ四重奏 イ短調のメロディが響いていた。

美しいメロディとその光景は、始終テディの悪夢と共に蘇ってくるのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、そんなトラウマもありながら、さらにテディはもう一つ根深い心の傷を抱えていた。

実は彼の妻は、放火魔の放たれた火によって、死んだ。

その後の情報によると、その放火魔、(名前をレディスというが、)

どうもその後、このシャッター・アイランドにいるらしい。

どうしても、妻に対する復讐をしたい、と思っているテディは

女囚を捕らえるという表向きの依頼をきっかけに、その島に潜入することができたのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

だが、一歩、その島に入ってみると、

一応職員らはみな愛想よくふるまってくれるものの、

捜査には全く協力的ではない。

皆、一様に何かを隠しているようなのだが、

それが何なのかを告げるものはいない―。

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不思議な手ごたえのなさを感じるテディ。

ある晩、島にハリケーンが上陸した。

一時的に島はガスも電気も通わなくなる。

そこで、誰も近づいてはならないと言われていた、超重篤な精神疾患患者ばかり集められた

C棟へ潜入するテディとチャック。

そこには、この島にはレディスがいるかもしれないという噂を教えてくれた男が

廃人さながらにして監禁されていた。

その男は、この島の本当の秘密を教えてくれる。

「この島は、秘密裡に人体実験をしている。

政府に盾突く人間を罠にかけて

このシャッター・アイランドに送り込み、精神患者に仕立て上げ、

そして、最後には極秘裏に灯台の中でロボトミー手術をして、廃人にしてしまうのだ」と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

衝撃的な事実を聞かされて、ショックを受けるテディ。

事実が真実かどうかを確かめようと、灯台に向かおうとするが、そこで

ある洞穴に灯がともっていることに気づく。

そこには、なんと逃げ出したと言われている女囚レイチェル・ソランドがいた。

だが、レイチェルは言う。

「私は、女囚なんかではない。ここの医者だったのよ。

だけど、ここの秘密を知ってしまったの。だから、精神疾患があることにされて、

捕らえられてしまったのよ。

ここでは、一度精神疾患があるという烙印を押されてしまったら、

どんなに抵抗してもダメよ。

ますます、重篤な症状があると言われてしまうの。

あなたは、すでに罠にかかっている。

ここでもらったたばこや、コーヒーにはすべて薬が入っているのよ。

もうすぐ、薬が効いてくる。指先がしびれて来るのよ、まず。

そしてだんだん、何にも考えられなくなって…。

あなたはロボトミー手術をされてしまうの」

なんということ!

テディは戦慄する!

早く逃げなければならない、が、しかし…。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

話はここまでにしておきます。

これから先は教えられないですね。

ばらばらのパズルのピースがピタッと収まる感覚が爽快だし、

かといってそれが実は本当に真実なのか?という疑念も生じて来るのですが、

その判断は見ている我々にゆだねられているんですねぇ。

上手い映画だと思います。

戦慄のラストですよ。

本当に面白かった!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後にちらりとコメントを申し上げますと、

この映画は人間、あまりに辛い真実を正気で受け止めるよりは

真実よりもう少し甘く自分に都合のよい

狂気の中にいるほうがマシな場合もある、ってことを

見てる側はひしひしと感じるんですよ。


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